ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
■無意識

心の中の、意識できない、深い部分。

広い意味での、心のありよう、
人間の内界のありよう。

意識できない部分を含めた、
(意識できる部分を越えた)
心のありよう、人間の内界のありよう。


三省堂「大辞林」によると、

>〔心〕 通常は意識されていない心の領域・過程。
>夢・瞑想・精神分析などによって顕在化(意識化)される。
>潜在意識。深層心理。


意識を補完する機能を持つと思われる。
限られた意識をサポートするともとれる。

意識とは絞ったり、限定することでもあるが、
その相対する存在である無意識は、無限の広さを持っている、
故に、無意識。

人は部分を意識できるが、全体を意識できない。
人の意識できる全体は、もっと広い全体の部分である。(*1



■個人的無意識

比較的浅い部分にある、無意識の層。
意識と隣接しているから、個人的な色合いが濃い。

個人が体験したことで、意識の枠組みに収まらないものが、
ここにあると仮定できる。

平たく言えば、
何らかの要因で、意識から締め出されたり、はみ出たものが、
この層に存在する。

(「影」とか…)



■普遍的無意識

意識から離れた、より深いところにある無意識の層。
意識と離れているから、その色合いはより普遍的になる。

人類という枠組みだと、人類に共通する普遍的なものが、
この層にあると思われる。

(個人的には、機制(メカニズム)的なものは、この層にあると思う。但し、個々の、機制から発生したものは、むしろ個人的無意識にあるんでしょう。それは個人的な体験だから。ここにあるのは、各種のメカニズムとか、本能とか、すべての人間に共通する土台になるもの)

個人的な体験を超えて持つものが、
ここにあると仮定できる。



因みに、心理学のスタンスでいえば、
無意識の層にあるものに影響されて起こる(意識の側の)現象に重きが置かれ、
それを手がかりにして、
無意識の層にあるものを意識的に捉えようとしたり、
定義付けしようとしたりするのだと思います。

逆に、宗教的なスタンスだと、
むしろ、無意識の層に自ら降りていって、
無意識を十二分に体験することが、その目的になっているような気がします。
(体験することで、結果、意識化することになったりする)

それぞれ、同じようなものを問題としているのだけれど、
しようとしていることは、違うように思う。
(アプローチとか、立ち位置、目指す到達点とかは、違うんじゃなかろうか)

同じようなものを解明しようとしているのだけども、
心理学は、無意識の層にある「そのもの」(例えば、元型)よりは、
「そのもの」によって、意識の層に現れる何か、を問題にしており、

宗教の方は、純粋に、「そのもの」を探求しているような印象があります。

ある意味、
心理学は人間(=意識)の側に立つが、
宗教はむしろ、自然とか、宇宙(=無意識)の側に立っているような気がする。
(身を置く、といってもいい)

もっとも、どちらの立場にしても、
「ゆるさ」や「あやふやさ」は持つだろうし、
また、それでいいような気もします。

(逸脱さえしなければ…)





もう一度、意識と無意識の話に戻ると、

意識(あるいは、意識する行為)というものは、
暗がりでサーチライトを照らすようなもので、

その限定された、照らされた部分を、我々は意識することになります。

それは、目に見える範囲、ということでもあり、
(個人的に)体験したこと、ということでもあり、
集中して見たことでもあり、
多くのものから絞ったものでもあるでしょう。


逆に、そこからはみ出す物が無意識であり、

それは、目に見える範囲の埒外にあり、
個人の体験を超えたものであり、
拡散した広い範囲であり、
多くのものが混沌として存在する世界なんでしょう。


で、その両方によって生かされているのが、人間なんでしょうね。





(*1
例えば、我々は地球全体を意識できない。
しかし、地球の部分である何かは意識できる。
また、地球だって、宇宙の一部だったりする。

これは人間総体に対しても同じで、
我々は自分にしろ相手にしろ、
総体としての人間すべてを意識することはできないが、
その部分を意識することはできる。

また、これは人間の内界にもいえ、
我々の心というものは、意識できる範囲以上に広く、多様である。

だから、不可解で、怖ろしい部分も有する。

(そして、それだけに、可能性に対して開かれている)



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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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