ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
散々出てきた、それなりに の究極形が――あるいは、ひとつの見方が――自然 というものなんでしょうね。



三省堂「大辞林」で<自然>を引くと、いい言葉がたくさん載っています。



(1)おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。




(2)人や物に本来的に備わっている性質。天性。




しかし、我々人間は、それに逆らってしまう。



寒いのに服を着ない。

暑いのに服を脱がない。

渇いているのに飲まない。

余っているのに摂り続ける。

泣きたいのに笑う。

笑いたいのに澄ます。

重いのに置かない。


足りないのに足さない。

歩きたいのに歩かない。


このような態度や行動それそのものをしてるかどうかは別にして、似たようなこと はしてたりする。

また、社会で暮らす以上、それを求められ、そうせざるを得なくなる部分も多々ある。
(社会生活上は、それが正しいとされていたりする)(*1

社会で暮らすとは、こういう不自然さを育てることでもある。
(ある種の我慢とか、感情コントロールとか)

そう、まさに、不自然。
(社会の自然が不自然であるという、ヘンテコリンな事実)



>人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、
>人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。

>人為によってその秩序が乱されれば
>人間と対立する存在となる。

これは意識と無意識にも、置き換えられますね。理性と本能、脳みその新しい部分と古い部分、いろいろ言い様があります。

(自然の反乱、本能の反乱とかも)



寒けりゃ、着るものが欲しくなる。

暑けりゃ、着たものを脱ぎたくなる。

渇けば、飲みたくなる。

余れば、欲しくなくなる。

悲しいと、涙が出るし、

嬉しかったり、おかしかったりすると、笑みが出る。

重ければ、置きたくなる。


そりゃそうだけど、同時に、そうするわけにはいかない事情もあったりする。

なので、出てくるものには蓋をする、そういうパターンが出来上がってしまう。

(身に付くとは、無意識にそれができるということだけども、それが曲者だ)



どちらかをとろうとすると、どちらかを棄てることになる。

自然をとれば、不自然さを棄てることになる。

即ち、内なる自然をとれば、社会性を棄てることになり、社会性をとれば、人間らしさを失うことになる。

しかし、それは二者択一にするから、部分と全部をごっちゃにするからであって、実際、どっちも大事だ。

自然も、不自然も、どっちも大事だ。

(人間が、そういうふたつの面から成り立ってるんだもの)


ただ、あまりに自然が蔑ろにされるから、機能不全や目詰まりが起こる。



それなりに とは、つまり、


寒い時には、ちょっと服を着てみる。

暑い時には、ちょっと服を脱いでみる。

渇いている時は、ちょっと飲んでみる。

余っていたら、ちょっとやめてみる。

泣きたい時は、ちょっと泣いてみる。

笑いたい時は、ちょっと笑ってみる。

重たい時は、ちょっと置いてみる。


足りない時は、ちょっと足してみる。

進みたい時は、ちょっと歩いてみる。


そういうこと。

そうやって、目詰まりを掃除すること。



人間の心は複雑なので――人間総体と心を守る、そういう機能が付いているので――何らかの理由で、そういう ちょっと ができなくなってしまう。

だから、誰が悪いでもない。

そういう風になっているんだもの。


問題は、理由はともかくとして、にっちもさっちもいかなくなっていること。
(意識しているかどうかは別にして)困っていること。

だから、善悪や理由はともかく、変わらざるを得なくなる。

いつかそれを、受け容れねばならなくなる。



しかし、こういう一見、些細なことが――別の誰かには些細に思えることが――時に、当の本人にとっては、どえらいことだったりする。

怖い、たまらなく怖いことだったりする。

(そういう意味では、この それなりに に進むことは、劇的な大変革ともいえる)
(勇気の要る、第一歩だ)



で、話を戻すと、

ちょっとそれなりに は、その方法のひとつ。

怖れや破壊、痛みや悲しみを緩和する、方法のひとつ。

(緩和するとは、それを無くすことでもないし、逃げることでもない。それと付き合う、方法のひとつ)
(実際、悲しいし、痛い)


自然には、「ひとりでに」とか「おのずと」という意味がある。

厳しい現実(自然)を、馴染ませる方法のひとつが、ちょっとそれなりに で、そうすると、「ひとりでに」とか「おのずと」とか、そういうものが出てくる。


そして、自然には、「自然は飛躍せず」=「自然は、一挙にではなく、漸次的に変化するものである」という言葉もあるようです。





それなりにとか、少しずつとかいうのは、

今までしてなかったこと、
(大仰に言うと、今まで生きてこなかったこと)

そして、今まで恐れていたこと、

そういうものを、

破壊的にならぬように、

少しずつ、それなりに、

なじませていくこと なんでしょう。




(*1
といっても、実は「いつも」じゃなくて、「一部」なんだけども。

いつもそうでないといけないとか、
全部そうでないといけないとか、

そういうことではないんでしょう。


いつもといえばいつも、でも、ホントは、絶対じゃない。

ただ、身に付くというのは、無意識にパターン化されるということなので、

自動的に、「いつも」「全部」そう割り振りされてしまいがちですね。





なんにかわるかな
なんにかわるかな





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「カテゴリ:自然」




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生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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