ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
NHK総合の大河ドラマ

「八重の桜」のレビューと感想。

第6話「会津の決断」


<御用人でも、殿様でも、危ねえものは危ねえ>

<怖れながら殿は、会津を滅ぼす道に踏み出されてしまわれた!>


松平容保に、京都守護職拝命の話が。

家訓を守るか?

それとも、藩を守るか?

決断を迫られます。



八重の桜 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)



桜田門外で、大老・井伊直弼(榎木孝明)が、水戸の浪士らに暗殺された。第十四代将軍・徳川家茂(葉山奨之)の意向は、水戸討伐でした。が、松平容保(綾野剛)は反対します。今回の件は脱藩浪士が引き起こしたもので、水戸藩の罪ではない。今 国内で争っている場合ではありませんと、進言した。

こうして、会津藩のとりなしにより、水戸討伐の話は沙汰やみ(中止)となりました。

その報せを聞いた一橋慶喜(小泉孝太郎)と松平春嶽(村上弘明)の記憶には、松平容保の名前が深く刻まれるのでした。そしてそれが後に、会津の運命を左右することになる。



文久元年(1861年)初夏の黒河内道場。八重(綾瀬はるか)と山川二葉(市川実日子)が、薙刀を手に睨み合っている。ふたりの気合の入り様は、音にも表れていました。薙刀のぶつかり合う音が、他とは違うのです。

一進一退の攻防が続きましたが、やがて八重が二葉の薙刀を払い、勝負ありとなった。どうやら、ふたりはライバル関係にあるようです。互いの技量を褒めながら、次は負けませぬと誓い合う。

二葉は、山川大蔵(玉山鉄二)の姉です。そしてこの度、梶原平馬(池内博之)に嫁ぐことが決まった。平馬は、やがては家老になろうかという有望な側用人。

そして、八重にも、いい話が。といっても、こちらは縁談ではなく、お針の稽古の手伝いをしないかという誘いでした。幼馴染・高木時尾(貫地谷しほり)と一緒に、小さい子の世話をしてくれないかとのことらしい。

縫い仕事が早い八重ですが、それは少しでも長く鉄砲の稽古をしたいから。なので、この話は断ってしまいました。今の八重さんにとって第一なのは、鉄砲なのです。

佐久(風吹ジュン)は思いました。「鉄砲を撃つ娘を、もらってくれる家があんべか?」。一方、八重は思う。「おなごでも砲術師範になれる国、どっかに、ねえもんだべか?」。



山川家の庭で、大蔵の母・艶(えん:秋吉久美子)が薙刀を構えている。相手は誰かと思ったら、梶原平馬だった。平馬が打ち込むと、これを艶がさばき、体勢を崩したところに、お面。見事、一本とりました。

事情を知らない大蔵は、大慌て。でも、平馬は、愉快そうに笑ってる。はじめ艶と健次郎が稽古をしていたらしいのですが、艶の強さに平馬が感心し、一戦交えてみることになったとのこと。この梶原平馬という男、頓着がないというか、好奇心旺盛というか、だいぶさばけた人のようです。

さて、大蔵の弟・健次郎ですが、大人しい性質で、姉たちからは青びょうたんと呼ばれている。が、しかし、後に とびきりの学者・教育者になるのですから、人間とは分からないものです。

平馬に、大蔵の兄弟たちが紹介されました。ここでも平馬は、人懐っこい一面を見せます。年下の弟や妹はそれに触れ、大層うれしそう。ただ、二葉だけは、すまし顔。うれしい気持ちを、礼儀の中に隠すのでした。



川崎尚之助(長谷川博己)は、銃の試作に取り組んでいます。八重が鉄砲を使ってみて、改良してほしい点を挙げる。それをもとに、尚之助はさらなる改良を試みます。

と、そこに、平馬と大蔵が来た。「ほほう、なかなか様になってる!」と、平馬は、銃を構える八重を見て、感心した。「鉄砲を担いだ巴御前というところだ」と笑っています。

尚之助に挨拶し、鉄砲に触れようとした平馬でしたが、八重に叱られました。「勝手に、触らねえでくなんしょ! 角場にある道具は、ひとつ扱いを間違えば、命に関わるものに ごぜえやす」

これに平馬は、自分が軽率だったと笑ってすませました。この時代では、ちょっと考えられない対応です。小さなことは気にしない、器の大きさを持っている様子。


やがて、覚馬(西島秀俊)が帰って来ました。八重が平馬を注意したと知って、驚きます。でも、八重さんは、澄ましたもの。「御用人でも、殿様でも、危ねえものは危ねえ」とか言っちゃってる。

そんな八重を、平馬は面白いと言った。まるで、打てば響くようだと。

平馬の用件とは、鉄砲組の銃を新式に入れ替えることでした。この度、殿が、幕政の評議に加わることになった。井伊大老暗殺の件 以来、攘夷派の浪士たちが、不穏な動きを強めています。幕府は朝廷に攘夷の実行を約束したけれど、勝ち目のない戦をやるとは思えない。けれど約束を反故にしたら、朝廷に対し、不敬の極みとなってしまいます。

こんな何が起きるか分からない御時世に、幕政に加わることになった。なので、これを機に、鉄砲組の改革を推し進めようというのです。



この年の晩秋、疱瘡(ほうそう)を患って寝ついていた容保の正室、敏姫(中西美帆)が亡くなりました。殿をお頼み申します…姉上として。それが、敏姫が、照姫(稲森いずみ)に宛てた遺言でした。

自分の存在が敏姫を苦しめていたと知り、照姫は涙しました。



翌年、事件が起きる。薩摩の島津久光が、千人の軍勢と大砲を率い、京に上ったのです。公武合体推進のためでした。これにより京の都は、一気に諸藩の浪士であふれ返ることになった。

文久二年(1862年)六月。朝廷の勅使が江戸に派遣されることになり、薩摩に勅使随行が命じられました。要求されたのは、次の三項目。一つ、将軍の上洛。一つ、五大老の設置。一つ、一橋慶喜の将軍後見職と、松平俊獄の大老就任でした。

文久の改革です。特筆すべきは、その主導が、幕府によるものではなかったこと。武力の薩摩と権威の朝廷に、圧し切られる形で進められた。



榎本釜次郎(山口馬木也)は、築地の軍艦操練所の勝麟太郎(生瀬勝久)を訪ねた。今回の流れ、勝は「外様大名の薩摩が朝廷使って幕府動かすなんざ、前代未聞よ。幕府の威信も落ちた!」と、称しています。

一方、榎本は、幕政改革に期待しているようです。問題は、一橋慶喜と松平春嶽が、どれほどの器かということ。

勝に入った情報によると、薩摩が江戸に下った隙に、都では長州や土佐が金を使い、公家たちを抱き込んでいるらしい。勝は言いました。「これからの政は、京で決まるぜ」



江戸城内一橋邸では、将軍後見職などになりとうはなかったと、慶喜が漏らしています。春嶽は、政事総裁職に就任。が、名前ばかりでさしたる力もないと、春嶽も ぼやいている。

まずは都の抑えでしょうと、春嶽は言った。将軍上洛の前に、不逞浪士を追い払わねばなりません。そのために設置しようとしたのが、京都守護職。政情不安化する京都市中の治安維持のため、その設置が急務だと、春嶽は考えた。

問題は、それを誰に任せるかです。朝廷は薩摩を望んでいるらしいのですが、これ以上、薩摩に力を持たれては困る。そこで春嶽は、会津藩の松平容保に白羽の矢を立てた。



悲しみを乗り越え、覚馬と うらは女の子を授かっていました。八重は紅白戦に備え、弟の三郎(工藤阿須加)と、庭で薙刀の稽古に励みます。二葉様には負けられないと、薙刀を持つ手に力が入る。


京都守護職拝命の報は、会津藩を揺るがしていました。覚馬も走って、西郷頼母(西田敏行)のもとへ。と、頼母に食い下がっている男がいた。佐川官兵衛(中村獅童)が、京に連れて行けと直訴している。

が、この官兵衛は、五年前の江戸勤めの折、人を殺めて謹慎中の身です。京勤めは到底 叶うまいというのが、頼母の見立てでした。

覚馬は、守護職の件は断るべきだと考えています。200里も離れた京に出兵すれば、人も金もかかり、肝心の兵制改革が遅れてしまう。そして頼母もまた、就任には反対だった。



江戸、会津藩上屋敷を、松平春嶽が訪れていました。就任要請する春嶽でしたが、容保はこれを固辞します。すると、春嶽は、会津藩の家訓を引き合いに出してきた。

「会津松平家には、藩祖・保科正之公が定められた土津公御家訓(はにつこうごかきん)なるものがると、聞き及びまする。御家訓には『徳川宗家に忠勤を尽くすべし』との一条があるとか。御下命に従わぬのは、御家訓に背くことではござりませぬか?」



会津藩若年寄・田中土佐(佐藤B作)と頼母が、容保のもとに駆けつけました。京都守護職拝命を辞退するよう、進言します。が、容保の決断は既に終わっていました。「守護職の御役目、御受けする」

京都守護職を勤めれば、会津藩が政争の渦中に巻き込まれるのは必至。それは、薪(たきぎ)を背負って火を消しに行くのと同じです。頼母は、無礼を承知で意見した。

大老・井伊様の悲運を、何と思召(おぼしめ)されまするか? 御公儀は尊王攘夷派の威勢に押され、彦根藩を十万石の減封に処している。井伊様は死に損だと、頼母は言った。そして会津藩も、彦根と同じ道を歩むことになるかもしれない。

容保が絞り出すようにして出した言葉は、土津公御家訓でした。「大君の儀。一心大切に、忠勤を存ずべし。二心(ふたごころ)を懐(いだ)かば、我が子孫にあらず。徳川御宗家と存亡を共にするのが会津の務め」

「是非には及ばぬ! この上は、都を死に場所と心得、御役目を全うするより、他はない」


「みな…覚悟を定め…わしに…わしに力を貸してくれ」と、最後には容保自ら頭を下げた。

が、頼母はそれでも、得心がいきませんと反対。これは、会津の命運を左右する二股道。「怖れながら殿は、会津を滅ぼす道に踏み出されてしまわれた!」

頼母は泣いた。他の家臣も泣いた。そして、容保もまた泣いた。これで会津は滅ぶかもしれない。誰にもそれが、分かっていました。


文久二年、閏(うるう)八月一日。松平容保は、京都守護職を拝命しました。



黒河内道場の紅白試合。八重は二葉と、薙刀を交える。接戦でしたが、最後は二葉が脛(すね)をとらえました。試合後、八重は声をかけた。「今日は、御見事でした。二葉様は、ずんと御強うなられた」

すると、二葉が返しました。「私の覚悟が、これまでとは違っているのです」。平馬が上洛することになり、二葉も京に上ることになったのでした。みな出陣の覚悟で上洛される。「私もいざという時は薙刀を振るって、家さ守らねばなりませぬ」ということだった。武家の妻ですからと。



覚馬も、京に上ることになった。そんな覚馬に、佐川官兵衛は頭を下げました。「たのむ! わしの分まで、働いてくれ」。都で命を捨てて来いと、覚馬に託します。


一方、うらは複雑な心持だった。

殿様の御供を仰せつかるのは名誉なことだけれど、やっとこの子が生まれたのに…。



容保の上洛は、その年の師走と決まりました。

千人の会津藩士たちが、共に京へと向かいます。

そこで待ち受けるものとは…。





NHK大河ドラマ 「八重の桜」完全読本 (NIKKO MOOK)





【感想】


大事なものは、何だろう?

存続だろうか?

順守だろうか?

信念を貫くことだろうか?


選択には、結果が。

かといって、選ばないわけにもいかない。


両方は持てず、

片方を持てば、もう片方は置かねばならない。


何が大事かといえば、それぞれみんなが大事。

なので、場合場合を考える。

今、必要なのは何か?

今、置いておくべきは何か?


しかし、教えや信念は、時にそれを邪魔するという。

場合場合という見方を消し去り、必ずと思わせてしまう。



原則と臨機応変さは、両輪でこそ機能するようです…。





エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)





<<「松陰の死と桜田門外の変│八重の桜(5)」
   「言路洞開と将軍の首│八重の桜(7)」>>



京で待つものとは?

強い力を持つものの、行く末とは?


次週、第7回「将軍の首」。



大河ドラマ 八重の桜 ブログコミュニティ - テレビブログ村













関連記事
[サイト内タグ]:  八重の桜



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ


■ 最近のエントリ

↑ページトップへ




// HOME //
Powered By FC2ブログ.
copyright © 2005 枕石漱流 日記(ユング心理学の視点から) all rights reserved.
■ Amazon
■ 注目記事
■ アーカイブ
■ カテゴリ

■ 月別アーカイブ

■ 検索ぷらす


【注意】 ENTERキーだとうまく表示されないようです。申し訳ございませんが、ボタンを押してください。

■ キーワードハイライト機能

検索時、検索語句がハイライトされます。

■ 最近のトラックバック
■ スポンサードリンク

■  
■ スポンサードリンク



■ 最近の記事
■ カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

■ FC2カウンター



現在の閲覧者数:

■ プロフィール

南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


日記について


拍手する

プロフ
電脳露店マイアソシエイトストア
おバカ映画

■ リンク
■ RSSフィード
■ QRコード

QR

携帯でも御覧になれます。

■ にほんブログ村



BlogPeople「人間・哲学/人間考察」

■