ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
伝える人に認知の歪みがある場合、こちらで注意し、修正しないことには危ない。

そのまま受け取っていたら、そんなに悪くない人を悪人にしてしまうかもしれません。逆に、けっこうお粗末な人を、すごい人だと誤認識してしまうかもしれない。

まあ、間違いは誰にでもあるわけですが、間違いを忘れ繰り返す人、しかも、それが力を持った人だったり、力を持った媒体に属していたりすると、危ないですわな。




(5) 「結論の飛躍」→「心の読み過ぎ」と「先読みの誤り」


<心の読み過ぎ>

これは、深読みしすぎて失敗する例。確認もせずに人の心を読んだ上に、それが間違いないと固く信じてしまう。「あの人は、きっとこう思ったに違いない」が力を持ちすぎて、想像から現実に格上げされてしまいます。

こりゃ、やられたら堪らないですよ。そう思ってないのに、伝える人が「そう思ったに違いない」と吹聴するのです。言ってもないことを、まるで言ったかのように、伝えられるかもしれません。


<先読みの誤り・間違った予言>

当たり前ですが、未来がどうなるかなんて分かりません。予測するにしても、どうなるか分からないというのを前提に、予測します。

しかし、中には、それが大きく欠けている人がいたりする。「きっと、こんな悪いことが起こる」「もう、よくなることなんかない」と、頑なに信じてしまいます。「どうなるか分からない」ではなくて、「きっとそうなる」が勝ちすぎてしまう。

普通、「きっとそうなる」と言うからには、そうなるだけの条件がきっちりと揃っているものです。でも、この場合は、そういった条件は確かめずに、「きっとそうなる」と信じ込んでしまう。


これらふたつは、「そう思っているだけ」です。よく考えれば、ろくに根拠がない。なのに、伝える人が大々的に流布してしまうと、世の中は「そうなのか」と思ってしまいます。世の中の多くの人は、いちいち確認できないから、マスコミを重宝しているわけです。だから基本的に、そのまま受け入れる。

というわけで、相手の印象を悪くする<心の読み過ぎ>があれば、相手を悪く思いがち。悲観的な<先読みの誤り・間違った予言>に触れると、気分は悪くなるし、希望も持てません。逆に、楽観的な報道に触れれば、おかしなものを信じてしまいます。

政権交代時、このようなことが多くあったのを、覚えていますか? 認識の修正は、行われていますか?

一部マスコミがまき散らしたウイルスは、駆除できていますか?

あなたが悪いと信じているものは、本当に悪いのですか?

あなたがよいと信じているものは、本当によいのですか?



(6) 「拡大解釈と過小評価」


拡大解釈とは、自分の都合のいいように広げて解釈することです。

過小評価とは、実際より低く見積もって評価すること。


伝える人の都合で、悪い部分が拡大されたり、逆に、よい部分が拡大されたりする。特に、一方では悪い部分を大々的に報じ、別の一方ではいいところばかり報じる。

こんなアンフェアなことは、ないですよね。

また、そこそこできていたり、問題なくやれているのに、それを過小評価して伝える。これをやられると、聞く方の心は当然、それを元に反応します。

当然、いい印象は持ちませんよね。


もう、伝える人のやり放題です。嫌いな人はケチョンケチョンで、応援したい人は何かを隠してまで持ち上げる。それに気づいた人はインターネット内で怒りの声を上げたりもしますが、まだまだ影響力が小さいのが実情。

マスコミが流布した<拡大解釈と過小評価>というウイルスにやられ、どれだけの人が感染し、一方で悪者扱いし、一方でトンデモナイ人を持ち上げたか。

覚えてますか? 私は覚えてます。




(7) 「感情的決めつけ」


我々は、本来マスコミというものは客観的・第三者的に物事を報じるものだと信じています。あるいは、信じてきました。

でも、本当にそうでしょうか? そう思わざるを得ないように、なってきました。


情緒に溺れたような報道の多さは、何なんでしょう? 可哀想だと思えば、何としてでも助ける。悪いと思えば、何としてでも叩き続ける。

しかもですよ、その根底には、様々な認知の歪みがあるんですよ。

一方の可哀想な人の為に、もう一方を非難する。その非難される方が可哀想な目に遭っていることには、とんと無関心。すごく、一方的なのです。

片方の感情は大事にするのに、もう片方の感情は蔑ろにしたりする。

そこに正義はあると思いますか? フェアな精神はあると思いますか?


世の中には、「気の毒だけどしょうがないこと」や「悲しいけどしょうがないこと」があります。

それを避けるために人は、ルールを整備したり、個々が気をつけたりします。

でも、その際に感情に溺れ、悪者探しに奔走すれば、どうなるか?

感情を処理するために悪者を作り出すことに、どんな意味があるか?

当人がそうなるのはしょうがないとして、マスコミがその代理をしたらどうなるか?

世の中に、どんな影響を与えるでしょうか?



何も感情を捨て去ることはないし、大事にすればいい。

でも、同時に、感情を入れずに、ちゃんと説明できるかどうかも、特にマスコミにとっては大切なことだと思います。




(8) 「すべき思考」


誰もが理想を持ちます。個人でも持つし、集団でも持つでしょう。

「監視しなければならない」「権力に対抗せねばならない」「強い者にも意見しなければならない」「弱者は守らねばならない」

このような一見 理想的な信条も、あまりに凝り固まって硬化すると、おかしくなるようです。


<権力に対抗せねばならない>

何にでも、そうなのだろうか? 問題ないことでも、問題にするのか? けっこうよいことでも、難癖をつけるのか?

<強い者にも意見しなければならない>

いつも、そうなのだろうか? どんなことにでも、意見するのだろうか?

<弱者は守らねばならない>

基本は、そうかもしれない。でも、弱者が間違ったことをしたら、どうするのだろう? その前に、その人は本当に弱者なんだろうか? ある部分では、強くないだろうか?


ここでも、場合場合があります。条件というものがあったりする。


<権力に対抗せねばならない>
  ↓
<間違ったことや正しくないことで 権力を行使されたら、何としてでも対抗せねばならない>

逆に、正しいことなら、協力してもいいくらいです。

協力しないまでも、ちゃんと伝えたらいい。


<強い者にも意見しなければならない>
  ↓
<例え強い者に対しても、間違ったことや不正に対しては、意見せねばならない>

逆に、何でもないことなら、意見することもない。

よいことなら、拍手してもいいくらい。


<弱者は守らねばならない>
  ↓
<弱者が困っていたら、守らなければならない>

そもそも困ってないなら、見守るだけでいい。

あと、本当に困っているのか? 本当に弱い立場なのか? など、時々は考えた方がいい。

なぜなら、決めつけている時があるから。



要は、「見る目」です。

何事も、信じすぎると、目が曇るのです。




(9) 「レッテル貼り」


これも、多いですね。一方的に、レッテルを貼る。まるで週刊誌の見出しのように、人を評価します。

一度そうだったこと、部分的にそうだったこと、それをセンセーショナルに取り上げ、まるで人格やしてきたことを覆い隠すように、レッテルを貼ります。

それはまるで、顔の前に札を貼るような行為です。なので、その人の顔やしてきたことを見る前に、その札に書いてあることを読んだり、認識してしまう。

「○○な人」「○○した人」という見出しが、まるでその人の全てであるかのように語られてしまいます。


そのような報道が、ついこの前にもありました。そのおかげで、とある番組の司会者が(一応)謝罪したり、ラジオ番組で芸人が、謝ったそうです。


これも、自分に置き換えれば分かること。

いちいち、一度そうだったことを取り上げられ、「○○な人」「○○した人」と面白おかしく言われたり、非難されたりする。他にしたことは、見てもらえない。ずっとずっと言われる。

それがどんなにつらいことか。


それでいいと言う人は、自分もそう言われるかもしれないということを、受け入れているのだろうか?

この辺は、大いに疑問です。




(10) 「自己関連づけ・個人化」


これはひとりの人間の場合には、何でも自分のせいにすること。

そして、社会的な場合は、何でも特定の誰かや集団のせいにすること。


せいは、漢字で書けば「所為」。

そうなった原因や理由のことです。


なので普通、「○○の所為」という場合、実際にそうなる原因を作り出した人が責められる。

でも、よくよく考えると、「本当かな?」という場合も多いようです。


過去はそうだったかもしれない、でも、今やっている人は違うじゃないか!

だいたい、前までは何とかなっていたのに、より悪くなっているじゃないか!

そういう場合は、どうでしょう?


前の運転手が、難癖をつけられ、降ろされた。

新しい運転手は、前任者を非難し、自分が運転することになった。

ところが思っていたようにはいかず、散々なありさまだった。

その時、前任者の所為にしたら、乗客はどう思うでしょう?


前に戻るな、前進あるのみと主張する人もいます。

でも、大事なことを忘れてはいないでしょうか?

危ない運転で、いいのかどうか?

誰の運転が、より安全なのか?


それを乗客各自がよく考え、決めないと危ないですよね。

そして、間違った情報をつかまされていたなら、その情報発信者についても、よく検証しなければならない。

そうしないと、騙されるばかりです。

その気がなくても、結果として影響を受け、判断を誤ってしまいます。





「判断力」を強くする - 正しく判断するための14の指針 (ブルーバックス)


判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート (PHP新書)





何を選ぶのも、各人の自由だと思います。

けれど、その前提だけは、間違えないようにしないと。

伝える人のさじ加減ひとつで、印象はすごく変わるのだから。




マスコミに作られた論争さえあるという。

連携すべきだという話が、要求したと置き換えられる。

他の数字が混同されて、語られてしまう。

報道のミスリードに注意しないといけないなんて、何なんでしょう?


といっても、それを指摘したのもまた、(関西の)マスコミなんですねどね。


マスコミだからという理由では非難はできないけど、したことや、してきたことでは、個別に声を上げないとね。

評価すべきは評価し、指摘すべき点は指摘する。





【関連記事】
「マスコミに騙されない物の見方(1)」

「認知の歪みについての記事 目次」




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[サイト内タグ]:  認知の歪み



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生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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