ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス 著、石井千春 訳。
「子どもが育つ魔法の言葉」より
「親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる」 (P89)
「嫉妬(しっと)」とは、自分より優れていたり、自分の持っていないものを持っている人を、うらやみねたむこと。ジェラシー(jealousy)と呼ぶことも。
既に学んできたように、子どもは身近な大人から、いろんなことを吸収し、学びます。なので、大人が他人を羨み不平ばかり言っていると、それをも学び、結果としてマネするようになります。
嫉妬の根底にあるのは、個々人の差異。自他の違いですね。これは当たり前にあるもので、避けられません。問題は、それによって、どう思うか。
親の中には、自分の子を他の子と比べないと気がすまない人もいます。一方では、他の子より優れていると優越感を味わいたい部分があって、もう一方では、他の子より劣っているという劣等感を味わいたくないと思う。
これはこれで人情ですが、そればかりだと視野が狭くなり、今度は「他の子と比べることばかりに一生懸命になる」ことも。
さらには、欠点にばかり注目するようになると、他の問題ない点やいい点が、目に入らなくなります。そしてそんな認知の歪みを、知らず知らず、子に教え込むことにもつながるようです。(あなたはできない、あなたはダメだと)
世の万物がそうであるように、人間はたくさんの要素から成り立っています。そしてその要素には、比較的優れたものもあれば、そうでないものも含まれます。
そんなたくさんある要素の内、わざわざ欠点のありそうなものを抜きだし、それがすべてであるかのようにしてしまえば、認知は間違いますね。
仮に、要素が100あったとして、そのうちの1つをすべてだとしてしまう時、その1つに欠点があると、他の99個を覆い隠し、すべてに欠点があるかのように思いこんでしまうことも、人間にはあるのです。
実際にある他の要素を無視し、1つですべてを語ってしまうんですね。
そしてこれが、人間を傷つけてしまいます。
「嫉妬」には、上に書いた意味の他に、人の愛情――それも自分が愛する人の愛情――が他に向けられるのを憎む、という意味もあります。
無意識的に、「自分より相手の方が好かれているのではないか?」「自分は嫌われてるんじゃないか?」「あの人を奪われてしまうのではないか?」、そう感じてしまう。
こういう感情は誰にでもあるし、特に幼児では強いと思われます。
そしてこういうのは、相手と自分が比べられた時に、生じやすいのかもしれません。
また、「いつも」だと、なおさらですね。
さて、話を差異に戻すと、大人であれ子どもであれ、人間は「どうして同じじゃないんだろう?」とどこかで思ったり、「自分は人より劣っている」と考え、落ち込んでしまいます。
こういう時はだいたい、「何かひとつ」に注目していることが多いようです。
尺度をひとつに限定し、それでわざわざランク付けして、結果、嫌な気分になったりしてしまう。
でも、上で述べたように、人間って多様で多面的なんですよね。ひとつですべてを語るのは実は困難で、ナンセンスなんです。
なのにわざわざそうしてしまうような、癖がついてしまっている。
それがいかにバカバカしいか気づくことが、第一歩ですね。
思い込みから脱却し、「な~んだ」と思えればいいのです。
わざわざひとつのことに注目して、それをすべてであるかのように錯覚することはないと。
そうすれば、自分のことであれ、子どものことであれ、個性を認められるようになってきます。
ひとつができなくてもそれがすべてではないことが、分かってくる。
小さなことで一喜一憂し、落ち込むこともなくなってきます。
欠点だけに注目することも、なくなるでしょう。
そして大人がそうなれば、子どももよい影響を受けるというわけです。
[ 分けて考える ]人間には、優劣がある。
でも、ひとつの優劣で、ひとりの人間のすべてを語ることはできない。
誰もが、いろんなものを持っている。
個性がある以上、何らかの差は存在する。
それを隠すことはないけれど、それを誇張することもない。
尺度、ものさし、価値観は、ひとつじゃありません。
[ しないほうがいいこと ]いちいち比べて落ち込まない、ウンザリさせない。
自分と子どもを同一視し、子どもに頑張らせ過ぎない。
(思い入れも、ほどほどに)
兄弟間で比べ、順位付けしない。
親の価値観を、押しつけ過ぎない。
ひとつですべてを、語らない。
[ したほうがいいこと ]自分の個性を認める → 子どもの個性を認める。
欠点に目を向けるばかりでなく、長所を伸ばす。
視野を広げ、全体を考えてみる。
子どもの話に、耳を傾ける。
すべてを受け入れると、自分であれ子どもであれ、生きやすくなる。
[ 日本の病 ]このように嫉妬は、優越感と劣等感の狭間にあるようです。
逆に妬みのない人は、優越感に浸ろうとは思わないし、劣等感に怯えることもない。
ないのですが、時に、嫉妬を心に持つ人がそれを投影し、あたかもそれが相手にあるかのように錯覚することは、あるようです。
今の日本を見ると、いちいち基準を作りだしては、ひとつの物差しで順位付けし、「勝ってる」とか「負けてる」とか、一喜一憂している面がありますよね。
裏を返せば、それだけ怯えているともとれるし、また、他者を貶めて喜んでいるような面も。
一方でバカにして、一方でビクビクしています。
でも、人間をひとつの基準だけで語るなんてナンセンスも甚だしいので、もうそろそろ卒業しないとね。
馬鹿げてるし、得る物も少ない。
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