ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
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差別と似たものに、区別があります。


区別とは、「あるものと他のものとが違っていると判断して分けること」(大辞泉)。「あるものと他のものとの違いを認めて、それにより両者をはっきり分けること」(大辞林)。

善悪の区別とか、公私の区別とか、そういう風に使われます。

ここではあくまで、分けることに重点が置かれる。AとBは違うという、客観的な判断。誰もが分かる、ただの違いです。


一方、差別とは、「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと」(大辞泉)。「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること」(大辞林)。

差別は区別の延長線上にありますが、その先がある。違いを認めるだけでなく、それを根拠に――本当の意味での根拠はないわけですが――不当に扱ったり、権利を制限したり、嘲笑の対象にしたりするわけですね。



区別自体は、当たり前に存在するものです。

例えば、これを書いている私と、これを読んでいるあなたとは、違う。別の個人です。

もちろん、同じ部分もあります。おそらくあなたは、人間でしょう。実は、私も人間です。(読んでいるのがM78星雲から来た人だったら、ごめんなさい)

私は日本人で、関西人で、云々かんぬん。そういう風に定義を狭めていくと、おそらく読んでいる方々とは違いが出てくるのでしょう。どこかで違いが出る。生活する態度、考え方、パーソナリティー、どこかで異なる特性が出ますよね。

こういう差を認識するのは、単に区別ですね。「あら、そうですか」くらいのもの。別に問題ない。

ただ、何らかの差異を取り上げ、それで相手を貶めたり、本来得られるはずの権利を制限したり、不当に扱うのは、差別です。

分かります?



このように、差別は区別から出発している。しかし、もちろん、区別が悪いわけではありません。

悪いのは、区別を差別の口実にしているところ。区別が悪いのではなく、区別を悪用する人が悪い。

なので、区別を非難するのは、おかしいですね。区別自体に善悪は無くて、これは純粋な場合分けや、判断なのでしょう。ただ、その使い方が悪いと、困ったことになる。


差別はいうなれば、「理由も無く不当に扱うこと」と言えるでしょうか。

もっともらしい理由をつけたりしますが、その理由はどこかおかしかったりする。よく分からない理由で人を貶めることも、ありますよね。

ということは、区別とは本来関係ない何かが、そこにくっつけられているということなんでしょう。

何らかの「決めつけ」があるということ。



認知の歪みでいえば、「レッテル貼り」なんかが分かりやすいですね。

人間に何らかの否定的な札(レッテル)を貼って、それで全人格を判断しようとする。否定的な呼び名をつけて、それをすべてとします。

どんな人か、何を言っているのか、何をしようとしているのか、そういう実際はあまり見ようとせず、レッテルを根拠として、不当に低く取り扱おうとします。

ある種のカテゴリを作成し、そこに人を詰め込み、人格や態度などは不問にして、決めつけ、嘲笑します。

ということは、これも差別に近いものなのでしょう。

「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと」
「偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること」

だからさ…





差別というものには、「する側」と「される側」の両者が出てきます。

あるいは、加害者と被害者と言っていいかな。

でも、気をつけないと、加害者と被害者は、容易にひっくり返るかも。


被害者はもちろん、「差別された」と嘆くでしょう。

何の理由も無く不当な扱いを受けたのなら、そんな悲しいことはありません。

でも、そこに事実誤認があったら、どうでしょう?

何かの際に「差別された」と思い、それを他の人に告げた。告げられた人たちは当然怒り、差別したという人を非難する。

そんな時、そこに誤解があったら、どうなるでしょう?

差別されたというのは間違いで、結果、悪くない人を不当に非難し、低く、不平等に扱ったとしたら、どうなるでしょうか?

それもまた、差別かもしれません。



例えば、私がM78星雲から来た恒点観測員340号だったとしましょう。(秘密ですよ)

私はM78星人なので、地球人ではない。そのことでからかわれたり、ひどい扱いをされたとします。(仮にね)

「やい、宇宙人」とか「M78野郎」とか、「や~い、M」とか言われたりする。

そうなると当然、やるせないし、傷つきます。どうしてこんなことを言われなきゃならないんだろう? どうして侮辱されるんだろう? どうして、どうして? と深く悩み、傷つきます。

こういう状況が続けば、当たり前に敏感になりますよね。宇宙人とか、M78とか、場合によっては、Mと言われただけでも、ビクっとする。


そんなある日、私が歩いていると後ろから、「おい、M野郎」と声が聞こえたとする。

すると私は、「また、ひどいことを言われた」と思うでしょう。場合によっては、「差別された」と思うかもしれない。


でも、事実は絶対にそうでしょうか?

ひょっとしたら、どこかの誰かが友人をからかって、「どM野郎」と言ったのかもしれません。あだ名が単にMなのかもしれない。

そうなると、その言葉は私に向けられたものではなく、他者に向けられたものだということになります。したがって、私の「ひどいことを言われた」とか「差別された」という思いは、勘違いということになります。


この仮定の中での、私の人生を考えれば、Mという言葉に反応するのも、無理はない。でも、Mという言葉は世にたくさんあるので、すべてが私に向いているとは限りません。

その両方があるので、勘違いも起こる。

この「勘違いも起こる」ということを忘れたら、いったいどうなるだろう? ということです。



認知の歪みには、「読唇術、先読みの誤り」というものがあります。

これは相手の心を読んでしまい、「あの人はきっと、○○と思っているに違いない」と思ってしまう、認知の誤り。

これを持ってしまうと、例えば、相手が笑っているだけで、否定的に捉えてしまいます。

場合によっては、好意的に笑っている相手や、他の何かについて笑っている人を、「ああ、あの人はわたしを馬鹿にしている」と信じてしまう。

あるいは、概ねいつも無愛想な人を、「わたしにだけ無愛想」だとか、「わたしを無視している」とか、思う場合も。


こういう勘違いは誰にでもあるものですが、差別問題と結びついたら、ちょっと違ってくるかもしれませんね。

というのは、思ってもないような大事(おおごと)になる場合も、あるかもしれない。

となると、全然別のことで笑っていたのに差別だと思われたり、単にいつも通りにしているだけで差別にされたりと、そういうことがないともいえなくなる。

そしてこの時、誤解から非難してしまうとどうなるか? そういう問題も生じます。

個人が誤解し、怒ったり、憤慨したりする。こういうことは、よくあるでしょう。

でも、それが広まり、大きなムーブメントとなったら、どうなるだろう?


こういうことが起こるとは、思えませんか?

ということは、例の人権擁護法案というのも、あやしくなりますね。

仮に、法案そのものには問題なく、むしろ崇高なものであったとしても、そこに勘違いや認知の歪みがあった場合、果たして、どうなるでしょうか?




差別はもちろん憎むべきもので、無くす方がいい。

教育も必要でしょう。


でも、同時に、忘れてはいけなかったり、混同してはならないこともあります。

区別には、善も悪もない。

差別とは、その使い方を間違うこと、悪用すること。

これは区別が悪いのではなく、人が悪い。


人間は勘違いもするし、認知に歪みを持つ場合もある。

なので、確かめないと分からないことも多い。

確かめないままに非難すると、それ自体が差別的行為になる場合もある。


差別には、カテゴリ分けが関係している場合が多い。

ろくな理由も、客観的な事実もなしに、カテゴリ分けして嘲笑したり低く扱うのは、それ自体が差別的になることもある。

そして、差別をなくそうと声を上げている人が、こういうことを平気でしている場合がある。

人を見ずに見出しだけで判断するというのは、レッテル貼りなので、注意が必要。

現実だろうが、テレビだろうが、ネットだろうが、こういうことはたくさんあります。


今の日本は、非常に情緒に流されやすいと思う。

時に感情の渦に呑み込まれ、事実や布置、実際にどうだったかの検証などが、蔑ろにされがちです。

だから、いろいろと考え直さないと危ない。

そのひとつのキーワードが認知であり、認知の歪みだと思えます。



気をつけないと、いけない。

場合によっては簡単に、被害者と加害者の立場は、入れ替わります。





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差別がないなんてことは、無いでしょう。

でも、そう思ったことが本当に差別か、それは分かりません。

検証もせずに分かると言う人は、それ自体が…




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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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