ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
「影の自覚 人生の再適応」からの続き…)

我々は、人として生きるうちに、「倫理」というものを持ちます。また、持たねば困る。

倫理とは、人として守るべき道や、善悪の判断をする基準となるもの。道徳とかモラルと呼ばれることもあります。

これらは無いと困るわけだけれど、使い方によっては、人を追い詰め、苦しめることにもなる。



倫理には、枠や線の役割があるのでしょう。

ここから出てはならないとか、ここからはみ出すと罪になるとか。

こういう枠や線は有用で、これがないと、人は転落してしまうかもしれないし、他者の領域に侵入して、傷つけたり、ゲンナリさせたりすることもあるでしょう。


ただ、有用ではあるものの、絶対ではない。

というか、枠や線が絶対なものになってしまうと、危うい。

それは人間を守るためにあるはずなのに、時に、人間を殺してしまう。


倫理を容器だとする時、容器に余裕があれば、人はその中を自由に生きることができます。

しかし、容器がぎりぎりだったり、がちがちだったりすると、息苦しくなってしまう。

身動きが取れなくなってしまって、倫理とは何のためにあるのか? ということになってしまう。



といっても、倫理を悪者にするつもりはありません。

ただ、人は生きていると、どこかで部分的な倫理を強化してしまうものです。偏った善悪の判断を、持ってしまう。(客観的に見れば笑ってしまうようなこだわりを、それぞれの人は持つのです)

物事は、善悪や正邪、その両方を包含しています。ある限定された場面では、その一面のみが強調されたりするものの、別の場面では、必ずしもそうではなかったりする。

人は時に、その「場合場合」ということを、忘れてしまいます。

忘れたまま、成長することになる。

(特に現代日本は、それを忘れていたり、理解していないように思う)


そして、その忘れたことを見直す役割を、影が果たすこともあります。


そういう意味では、影との対決や統合は、倫理の再考や、倫理の再構築といった面も、あるのかもしれません。





このように、影は倫理を揺さぶる問題でもある。

その人が持っている倫理に問いかけ、揺さぶるといった、嫌なことをしてくる。

でも、そのおかげで、より成熟した倫理に至れるわけです。

場合場合を無視した一辺倒の倫理を壊し、新たな倫理を構築する手伝いをしてくれる。



そして、その次の段階として、他の“内的な像”が出現します。



夢をみた人が男性であれば、その無意識が女性像として人格化され、女性の場合は男性像として人格化されることを見いだすであろう。しばしば、影の背後にこの第2の象徴的な像が現われ、新しく困難な問題をもたらす。ユングはこの男性像を“アニムス”、女性像を“アニマ”と名づけた。

「人間と象徴 下巻 p36」





アニマは、男性の心のすべての女性的心理傾向が人格化されたもので、それは漠然とした感じやムード、予見的な勘、非合理的なものへの感受性、個人にたいする愛の能力、自然物への感情、そして――最後に、といっても重要でないわけではないが――無意識との関係などである。




ふだん、男性(あるいは男性社会)には無い、これらの傾向が、女性像として人格化され、影響を与えてくると。

逆にいえば、当時の西洋社会(男性社会)は、これらを排除していたともいえるのでしょう。

排除といえないにしても、目立って欠けていたと。

そして、影は身近なものだったのが、これらの問題は、離れた真逆の特性になる。

男性に対する女性、女性に対する男性といった、両極端の特性。


ガイドという意味では、影は割と身近なガイド。そして、アニマやアニムスは、反対側に存在するガイド、ということになるでしょうか。

影は近くすぎて見えないのだけれど、アニマやアニムスは、離れているので見えない。あるいは、出会っていない。



このような内的な像は、影がそうであるように、それが自分の中にあるものだと、なかなか認識されません。

だから、目の前の、それに相応しい対象に、投影されることになる。

男性が女性をひと目見て、「これだ!」と思うような場合も、アニマが投影された瞬間なのかもしれません。

自分の奥深くに眠っていた親しい存在と混同してしまい、目の前の対象に、強く惹かれる。

このような布置が結婚につながったり、あるいは、結婚生活を壊すことにつながったりすることも。



ただ、その奥には、意味が――



このような人生劇場における解決は、アニマが内的な力であることを認識することによってのみ見いだすことができる。そのようなもつれを生ぜしめる無意識内の秘密の目的は、その人を発展せしめ、無意識の人格をより統合し、それを実生活の上にもたらすことによってその人自身の存在を成熟せしめることにある。

「人間と象徴 下巻 P41」




アニマの存在意義、その役割は、単に誰かに投影して追いかけ回すとか、そういうことだけにあるのではないと。

それを過程とし、やがて、相手に投影していたものが自分の中にあるのだと気づき、それを育て、発展させ、統合してゆくことこそ、真の役割だというわけです。

単に相手に惹かれるのでもなく、相手の中に自分の望むものがないと不平を漏らすのでもなく、それが自分の中にあるのだと気付き、それを生きることで、統合していくことが、真の目的であり、真の解決方法であると。



我々は、表面の事象に右往左往するけれど、真の意味も、真の解決方法も、もう少し奥まった深い部分にあるのだと、ユングは教えてくれています…





人間と象徴 下巻―無意識の世界
人間と象徴 下巻―無意識の世界



影の現象学 (講談社学術文庫)
影の現象学 (講談社学術文庫)





(「アニマ 異性のガイド(2)」に続く…)





「人間と象徴の目次」




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南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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