ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
「はじめは苦難のカタチで」からの続き…)


無意識が最初に有用な形で生ずるにしろ、否定的な形をとるにしろ、早晩、意識的な態度が、無意識の要素によりよい方法で再適応する――したがって、無意識からの“批判”と思われるものを受け入れる――必要が生じてくる。

(「下巻 個性化の過程」P22より)




ひとつのものに適応する間、他のもうひとつについては、手つかずになるものです。ひとつに熟練する間、反対側のもうひとつは、未成熟なまま眠ることになる。

こういった布置が、人間に再適応を迫ることになります。

(この辺は、タイプ論にも書いています)


例えば、「みんな」というものをあまりに大事にすれば、「わたし」や「個人」というものが、蔑ろにされます。

逆に、「わたし」や「個人」があまりに大事にされると、「みんな」が蔑ろにされる。

自我の好みがあまりに強くなりすぎる時、そこに歪みが生じます。

好みはあっていいのですが、「それだけ」になると、どうしても偏ってしまう。(栄養と同じですね)


そしてそれを指摘、修正するのが、自己であると。

なので、人は(適応の後の)再適応するために、無意識からの批判を受け容れねばならない、というわけ。




人はいろいろな理由で厳密には見つめたくない自分自身の人格の側面について、夢を通じて知らされることとなる。





一般に、影は意識によって必要な価値を含んでいるが、その価値は、その人の生活に統合することが困難な形態で存在しているのだ。

(「下巻 個性化の過程」P27より)




自身の意識的な生活の中に欠けていて、それでいて、これから必要になるであろう要素。

ただ、自我がそれをなかなか認められないもの。

それを生きること、それを生活に統合することが、現時点において困難なもの。

それが、影として夢に現れると。


因みに、「夢や神話において、影は、夢を見た人と同性の人物として現れる」傾向があります。

それは初期において特に、「嫌な感じ」や「怖い感じ」、「腹立たしさ」などを、含むかもしれません。

なぜなら、その時期において影は、認められない自身の半面だから。

それが同性の誰かの姿を借りて(投影されて)、夢に出てくる。


普通、人は夢について、あれこれ考えません。

だから、影の夢を見たとしても、忘れるか、あるいは、単に嫌な夢だと思ったり、奇妙な夢だと思うばかり。


しかし、自己の意図、自己の言わんとするところ、という概念を前提に入れると、そこから見えるものが出てくる。

夢に見た誰かを、その誰かとして扱うかぎり、それは単に、嫌な感じがしたり、腹が立ったり、そうではないが奇妙だったり、そういった 相手のこと に留まります。

しかしそれが、自己のメッセージであること。自分の一部であること。ひょっとすると影かもしれないこと。それらを考慮に入れると、違ってくる。

それは単なる 相手のこと ではなく、自分のこと になってくる。


相手のこととして攻撃する時、我々は元気です。エネルギッシュに、力をぶつける。

しかし、自分のことではないか? と分かりはじめた時は、違ってきます。

むしろ元気がなくなって、頭を抱えたくなったりする。退行することだって、あるかもしれません。


こうなると、元気がなくなるということが、はたして、悪いことなのかどうか。

元気でいることが、素晴らしいのかどうか。


ここでも、自我の力を弱め、自己に耳を傾けたり、それを眺めたりすることの有用性が、見えてきそう。

そして、元気のない状態は、その前のステップかもしれない。

(ただ、弱い自我が自己に呑み込まれるという事態もまた、怖いのですが)






影が友人となるか敵となるかは、ほとんどわれわれ自身にかかっている。(中略)影は、いつも敵対者とはかぎらない。実際、影は、その状態にしたがって屈服したり、抵抗したり、親しくしたりして、日常に接する人たちと同様に付き合わねばならないものである。影は無視され、誤解されたときにのみ敵対的になる。

(中略)

それは、抑えられている不快な判断や否定的な考えを人格化したものである。影がどのような形をとるにせよ、それは自我と対立する側面を表わし、その人が他人のなかで最もきらう特性を示している。

(「下巻 個性化の過程」P30より)




影は夢の中などで、人格を持って現れます。つまり、自分の影なる部分が、それに相応しい人に投影されて、出てくる。

そうすると、影が敵対的に現れるということにしても、影自体が敵対的であるというよりは、夢を見る人自身が影に対して敵対的である、そういえるのかもしれません。

影自体は実はニュートラルなもので、人格もなければ敵対心もない。ただ、その黒い映し鏡は、夢見手の中にある、影への嫌悪感や恐怖などを、映す。だから、向うが敵対的であるかのように見えてしまう。

現に、影をモチーフに持つ夢の登場人物について語られる時、夢を見た人は、嫌悪感や腹立たしさ、敵対心などを持って、語ることからはじまるようです。

しかし、それ以外の人がそのモチーフについて語る時は、もっと、ニュートラルなものになるのでしょう。





影の像が価値あり、生命力のある力をもっているとき、それは、実際の体験のなかに同化されるべきで、抑圧すべきではない。自我は、その誇りや気位を棄てて、悪いもののごとく見えながら実際にはそうでないことを、生き抜いてゆかねばならない。このことは、自分の情欲に打ち勝つのとは逆のことではあるが、それと同様の英雄的な犠牲を必要とするものである。

(「下巻 個性化の過程」P32より)




上に書いたように、我々は、何らかのこだわりを持って、影を否定的なものだと定義づけています。

他の人ならそうは思わないものを、蛇蝎(だかつ)のように扱う。

そして、一をもって十となす、みたないことを、してしまいます。

ある意味では、認知に歪みを持ってしまうわけです。ある部分において。


我々は うすうすそういったことに気づきながらも、まるで無限のループの中にいるように、堂々巡りを繰り返してしまう。

それは自我の安定を守るという意味では有用なことですが、人間総体のことを考えると、必ずしも、そうとはいえません。

認知に歪みを抱えたまま、あるものを否定し続けるという行為は、ひとりの人間を危機に陥れる。

そして、態度を改めることを保留し続けることが、何を生み出すか。


その軌道修正を自己が担い、その初期の態度の改変・最適応を、影が担っている。

また、それが、夢に現れることもある。

他の誰かが指差してテキトーなことを言うのではなく、自身の中にある存在が、それを伝える。



(繰り返しになりますが)


影の像が価値あり、生命力のある力をもっているとき、それは、実際の体験のなかに同化されるべきで、抑圧すべきではない。自我は、その誇りや気位を棄てて、悪いもののごとく見えながら実際にはそうでないことを、生き抜いてゆかねばならない。




これを実際に行なうのは、たいへん困難で、誰もが疲弊し、倒れそうになってしまいます。

ただ、だからこそ、自我はその誇りや気位を棄てられる、ということにもなる。

腹の底から「はぁ~~~~」ということで、はじめて、態度の改変・最適応が成されると。

自我が頑張っている内は、その前段階、自我の抵抗の段階だと。




このことは、自分の情欲に打ち勝つのとは逆のことではあるが、それと同様の英雄的な犠牲を必要とするものである。




自分の欲情に(ある程度)打ち勝った人は、自分の欲情を受け容れねばならない。

実は、前者と後者は、同じくらい尊い行為なんでしょう。

そして、欲情を認めない限り、真に欲情に打ち勝つことはできない。




はじめ、素晴らしいものは、目の前にある。

だから人は頑張って、それを修得する。


次に、素晴らしいものは、見えないところにある。

それは、誰かに教えてもらわねば、見つけられない。

また、頑張って目の前を探すという行為を、いったん放棄せねばならない。


前に進むとはこういうことで、上のものが下になり、下のものが上になって、車輪は回り、前に進むのでしょう…





人間と象徴 下巻―無意識の世界
人間と象徴 下巻―無意識の世界



影の現象学 (講談社学術文庫)
影の現象学 (講談社学術文庫)



分身 (書物の王国)
分身 (書物の王国)






(「アニマ」に続く…)





疲弊もまた、経過の一部なり。

鍵は、「悪いもののごとく見えながら実際にはそうでないこと」。





「人間と象徴の目次」





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「ゲド戦記Ⅰ 影との戦い」




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南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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