ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
「個性化と松の種(2)」からの続き…)

個性化の過程とは、自己のあり方に耳を傾け、やがて自我をもってそれに関わってゆくことだといいます。

とはいえ、そんなことを誰がするでしょうか?

社会的に問題のない人は、おそらく、そんなことはしない。(もっとも、問題がなさすぎることが問題だ、となると別ですが)


というわけで、個性化の仕事に取り組む人は、“そうせざるを得ない”といった状況に追い込まれる場合が、多いのかもしれません。誰も好き好んで、そんなことはしない。



実際の個性化の過程――自分の内的な心の中心(心の核)すなわち自己との意識による対話――は、一般に人格が傷つけられ、それに伴なう苦悩によってはじまる。この最初のショックはしばしば、それとは気づかれないが、一種の“啓示”となる。逆に、自我は、その意志や欲望が妨げられたと感じ、普通はその妨害を何か外的なものに投影する。すなわち、自我は、神や経済状態や上役や配偶者を何か障害となったものの責任者として責めたてる。

(「下巻 個性化の過程」P19より)




ひとりの人間を外から見たとき、自己との対話をはじめる人は、そうせざるを得ない状況に追い込まれているようにも見える。

自己との対話=自分を見直す行為、とするなら、壁にぶつかるなり、苦難に立たされるなりしないと、そんなことは誰もしません。

稀に自分の行為を見直すのが好きな人がいるにしても、それは自我の見直しであって、自己との対話とは、少し違ったものになります。


と、それはさておき、自己と対話をはじめる人の動きを、内から見たら、どうなるでしょうか。(外から見れば、そうせざるを得ない状況に追い込まれるわけですが…)


心の中心である自己が、動きはじめる。

ひとりの人間を、何らかの“なるべき像”に導こうとする。

それは自我の考える――社会的だったり文化的だったり、あるいは、所属する集団が求める――“なるべき像”とは、違う。むしろ、それに反したりする。

つまり、自己の軌道修正は、自我の願うものとは反対の様相を持つ(ことが多い)。

そして、自己の突き上げにより、安定していたものは不安定になり、獲得していたものは指の間からこぼれ、自我の願うものは遠のく。

こういった危機に、自我は直面することになります。



そして、この状況を人は、目に見える何かのせいにする。そうしがちだと。

自己の意図という観念は分かりづらいので、目に見える、そして責めやすい対象に、その責任を押し付ける。


不安定なのは、○○のせい。

得られないのは、○○のせい。

願いが叶えられないのは、○○のせい。

こうなってしまう。

また、部分において、それは間違っていなかったりする。


ただ、部分と全体を分けることを、我々は案外、苦手とします。

(「認識の歪み」ってやつですね)






人は、見つかるはずのないものや、それについて何も知られていないようなものを探し求めている。そのような場合、すべての善意ある分別に満ちた忠告――すなわち、責任をもてとか、休みをとれとか、あまり働くな(もっと働け)とか、人との交際をふやせ(へらせ)とか、趣味をもちなさいとか――は、まったく無用なものとなる。それらは、すべて役立たないか、役立つとしてもまれである。ここに役立つように思えることがひとつある。それは、迫ってくる闇に偏見をもたずにまったく純粋に対面し、その隠された目的が何であり、それが何を自分に求めているのかを知ろうと努めることである。




自己の影響を受けている人に、一般論は意味をなさないと。

だいたい、目的そのものが、自我や社会が求める“なるべき像”になることではなく、生まれ持った個性的な“なるべき像”になることなので、前者に適用されるものを後者に適用しても、役には立たないと。

Aに必要なものを、X(エックス)に適用してもしかたない。

AにはAに適したものが、XにはXに適したものが、それぞれある。

自己の意図は目に見えないので、こういう捉え違いを、どうも、しやすいようです。

社会通念を越えた個人について考えねばならない時に、社会通念のことを考えても仕方ないと。


そして逆に、偏見なく、その不思議な自己の意図に耳を傾けたり、その動きを眺めようとした時、そこに隠された目的や、自分に求められている何かが、見えてくると。

怖れず(いや、怖れてもいいけど)、ゆだね、観察する時、だんだんと見えたり感じたりするという。


ただ――



ときとしてそれは、まず、自分自身および自分の意識的態度の欠点について、一連の苦痛に満ちた認知を提起する。そして、われわれは、すべての種類の苦い真実をのむことによって、この過程を始めねばならない。




認めたくないけど、認めねばならないもの。

影との対決が、はじまります…





人間と象徴 下巻―無意識の世界
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人間 この未知なるもの (知的生きかた文庫)
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(「影の自覚」に続く…)



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南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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