ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 


心の核である<自己>に加えて、ユングは人間の心理的発達と社会的適応においてそれぞれ特別な役割をになう元型要素をいくつか仮定した。そのなかには、自我、ペルソナ、影、アニマ、アニムスなどがある。



我々は、それぞれの社会で生きています。

生きることは成長することであり、また、社会に適応するということも含まれるでしょう。そして、それらの諸段階において、元型的構造が関わっており、我々に影響を与えている。

といっても、元型そのものは見えませんから、それについては無意識です。明確に意識することは、あまりなさそう。

けれど、意識しないから“見えないそれ”が無いのかというと、そうもいえないわけで、例えば我々は、自律神経系の働きによって、生命を維持しています。

呼吸、消化、循環、体温の変化だって、無意識に、自動に調節されている。

呼吸なんかは意識的にすることも可能だし、体温も衣服や冷暖房機で調節することも(ある程度は)できますが、基本的には無意識的な働きに任せている。我々はそれをいちいち意識しませんが、こうしている間にも、体は働いており、そのおかげで私やあなたというひとりの人間が生かされている。

目に見えない働きによって、人間は維持されています。

それによって成長もするし、環境にも適応する。(その逆も然りですけど)

こういうことが、実は、元型にもいえるようです。





[自己]


ユングのいう「自己」は自我を超越しており、その種に古くから継承されてきた能力を生まれつきもっている。その最終目標は全体性、すなわち人間生活の青写真を完全に実現することである。個性化(自己実現)は<自己>の存在理由(レゾン・デートル)である。



いろんなところに書いていますが、人間は性格を持つ以上、歪(いびつ)になってきます。ある部分だけが、尖ってくる。

内向的な人はその方面が強化され尖るし、外向的な人はその方面に尖る。感情的な人はそちらに尖るし、思考的な人はそちらに尖る。しかも、その反対側ほど使わないので、痩せています。

使う方はいつも使うし、使わない方は殆ど使わない。片方は発達し、もう片方は未発達になる。

だから、生きていると、バランスが悪くなるのです。

これが肉体なら、分かりやすいですよね。こっちの腕だけ太いとか、片方の脹脛(ふくらはぎ)だけが発達しているとか、目に見えて分かる。

けれど、生き方や態度というのは、なかなか自分では見えないので、気づきにくい。

上でいう“全体性”とはこの逆で、全体的に足りている状態です。刺々しい尖った状態ではなく、いろんな方面が補われている、球のような状態。

各方面がほどよく発達していたり、確立されていたりという状態。



これもいろんなところで書いていますが、ひとつの方向に進むということは、何かからは離れることだったり、放置することだったりします。どんなにいいことでも、別の何かからは、離れることになってしまいます。

これは、社会に適応して生きるということに対してもそうで、その方向に進めば進むほど、何かを置き去りにしているものなのです。

確かに適当している。その影で…



これに対し、警告を鳴らしてくれるのが、自己になります。

“それはすごく足りている、でも、これは…”

“それに対してはすごくやった、でも、これに対しては…”

そういうことを、何らかのカタチで、知らせようとしてくれる。


こういうものに人格を投影すると、霊になったり、神になったりするのかもしれません。

(また、その捉え方を否定しません)

ただ、これは身体の機能にも似ており、周囲の温度が下がったら末梢血管を縮めて体温を維持するような、ある状況においては汗をかかせたり、鼓動を速くさせたりするような、そんな働きにも似ています。

環境が変わっても、秩序ある安定した状態を保とうとする働き。あるいは、環境に応じて、必要な状態を作り出そうとする働き。そんなものが、心理という意味でも、人間には備わっていると。

というか、体と心を分けるのではなく、人間総体として、そういう機能があるものと思われます。



また、“時間”というものに注目すれば、人間の体温が起きてから上昇し、寝る頃には下がるように、人生の前半においては自我を成長させ、やがて、人生の後半では自己にシフトして行くといった、そんな働きも、ひょっとしたらあるのかもしれません。





[自我]


自我というのは、私が私だと思うもの。他者や外界にあるものから区別して感じる、自分。

考える私(自分)、感じる私(自分)、行動する私(自分)。

5歳の頃も、18歳の今も 今現在も、私を私と感じられるもの。自己同一感を与えてくれるもの。



我々は自己を直接的に感じることはできませんが、自我を感じることはできる。というか、いろんなものを考え、感じるのが、自我ですよね。

自己には限界が無く、その深さ・広さゆえ、我々は意識できません。逆に、自我は有限であるが故に、意識できて、「わたしはわたし」と感じることができる。ある意味では、境界が、わたしはわたしだと、感じさせてくれる。

他のものから分けられているので、自分といえる。



ただ、アンソニー・スティーヴンズに言わせると、「自我は<自己>のいわば手先にすぎない」ということになる。


なぜなら、実際には我々の意識が意識それ自身を生み出すわけではない。それは底知れぬ深みから噴出してくる。それは幼児期に徐々に目覚め、一生を通じて毎朝、睡眠の深みの無意識的状態から目覚めるのである。それは無意識という原初の子宮から毎日生まれてくる子どものようなものである。




自我は「自我 - 自己 軸」と呼んでいるものによって<自己>とつながっている。人格が安定しているか否かは、この軸がしっかりしているかどうかによって決まる。



宇宙樹でいえば、自己は幹から根っこで、自我はほんの枝先。枝先は枝先だからこそ、個別の枝として認識される。

しかし、その枝先を支えるのは、樹全体であり、幹や根っこである。



これは人間においてもそうで、自我が司令塔であるにしても、肉体なしでは役割を果たせないし、意識していないところでは細胞なり、神経系なりが、意識を越えて働いている。

また、意識は自分がすべてを決めているつもりでも、その意識を動かすものがあることを、我々は知っています。全部を自分が決めていると思えるほど、現代人は幼くはないでしょう。(その詳細はよく分からないにしても)

感情にしても、それはどこか奥底から来るもので、意識が感情を発しているのではない。むしろ受け側。

お腹が空いたから何か食べる、という行為にしても、食べるという指令を出すのは意識かもしれませんが、それ以前の指令や信号というものもあるわけで、自我や意識が最上位と言えるかどうか。

我々は、意識してないところで、実は、動かされているようです。

ただ、無意識だったり、半無意識だったりするだけで。



人間は、何かをふたつ持つとき、葛藤状態に陥るなど、ややこしいことになりがちです。

しかし、この世に生まれた時点で、“自我”と“自己”という、重要なふたつを持っているのかもしれません。

同じであり同じでない、そんなふたつを持つ。


生まれてから、我々は自我を鍛えます。人生の諸段階で、いろんな(人生的な)仕事をこなし、それと同時に自我を成長させる。

ただ、その裏では自己が関わっており、その影響を受けている。

また、自我が成長することで、それに気づけるようにもなってくる。

(日本人が歴史の中で、やがて世界というものを知ったように)


一方では、自我を強くすることは、自我と自己とを切り離すことを意味します。自己というあやふやなものではなく、境界をはっきりさせた、「わたし」というものを確立させてゆく。無意識的に物事を行なうのではなく、ある程度意識して、行動する。

ただ、そのようにして鍛えられた自我は、それと同時に、自己を感じるだけの能力や資格を得ることになる。

ぼやっとしたままの自我なら気づかないものも、しっかりした自我なら気づき始める。


一方では、わたし(自我)は自己とは違うのだと、明確に区別しようとし、しかし同時に、わたし(自我)とは違った、ユングのいう人格No.2 のような存在に気づく。

このような難しさもあるのかもしれません。




こういうことを踏まえながら、次回は“ペルソナ”について…





自我と無意識 (レグルス文庫)
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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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