ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
C・G・ユング著、河合隼雄 監訳、河出書房新社『人間と象徴』を読んでの感想、私見、個人的な理解など――



人間と象徴 上巻―無意識の世界
人間と象徴 上巻―無意識の世界





「前書き/第一章 自然なるもの…1」
  このシリーズを書くに当たって…

「序文:あちらの世界とこちらの世界①/第一章 自然なるもの…2」
  こちらの世界とあちらの世界…
  目の前にある世界と目の前にはない世界…

「序文:あちらの世界とこちらの世界②/第一章 自然なるもの…3」
  様式の違う、ふたつの現実…
  内的現実と外的現実…

「夢という自然/第一章 自然なるもの…4」
  人間の中にある、自然としての夢…
  夢の体験そのものは経験してなくても、それによく似た状況は経験してたりする…

「共通言語としての象徴①/第一章 自然なるもの…5」
  未知なるものと既知なるもののギャップ…
  未知なるものは飲み込めない…

「共通言語としての象徴②/第一章 自然なるもの…6」
  未知なるものを既知なるものの姿で…
  ふたつの世界をつなぐ象徴…

「伝えるもの――象徴①/第一章 自然なるもの…7」
  象徴は言葉以上のものを含む…
  影を例にとって…

「伝えるもの――象徴②/第一章 自然なるもの…8」
  認識と認識の埒外、見ている世界と見ていない世界…
  そのふたつをつなぐ、象徴…




第3章 個性化の過程 より

「個性化と松の種(1)」
  内なる、そうなろうとする力…
  ふたつの“なるべき像”…

「個性化と松の種(2)」
  今までを棄て、観察者となる…
  無為なる生き方…

「はじめは苦難のカタチで」
  傷や苦悩が、一種の啓示となる…

「影の自覚 人生の再適応」
  適応の後には、再適応が…


「アニマ 異性のガイド(1)」
  今度は、異なる性質を持つ存在が、教えてくれる…

「アニマ 異性のガイド(2)」
  内なる異性を、具現化する…





人間と象徴 下巻―無意識の世界
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河合隼雄さんの著書「コンプレックス」の中で、ユングの以下のような言葉が紹介されています――


「コンプレックスは広義においての一種の劣等性を示す。――このことに対して私は、コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものでないとただちにつけ加えることによって、限定を加えなければならない。コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである。――多分それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺戟するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちであろう。」



これだけだと、分かり難いかもしれませんね。分けていきましょうか――



まず、「コンプレックスは広義においての一種の劣等性を示す」

コンプレックスとは、いわば「意識化されない心のシコリ」のようなものであって、そのシコリがいろいろと目に見える問題を引き起こします。

シコリ自体は目に見えないのですが、その目に見えないもの、意識できないものが、目に見える問題を引き起こす。意識の領域に、何らかの障害として具現化したりするのです。

例えば、特定の相手に無性にイライラするとか。特定の人や場所、何らかのカテゴリを――理由は分からないのだけれど――苦手とするとか。

あるカテゴリの人の前だと、うまく話せない。萎縮してしまう。あるいは、理由のない怒りを覚える。また逆に、惹かれる。

あるカテゴリを――理由は分からないのだけれど――恐れてしまう。嫌ってしまう。

人や場所などを前に、硬直してしまうとか。

こういう場合、コンプレックスの影響があるかもしれないわけですね。(「あるかもしれない」ということは、「ないかもしれない」ことも意味するのですが)



で、ここで共通するのが、「理由は分からないのだけれど」というもの。「何だか知らないけれど」とか、そういうもの。

これぞ、コンプレックスの特徴なわけです。

(詳細は、また別の機会に…)



ともかく、上記のように、人間はコンプレックスの影響により、態度や行動に問題が生じる場合があって、それに対してユングは、「コンプレックスは広義においての一種の劣等性を示す」と言っているのでしょう。

必ずしも劣っているという意味ではなくて、困ったことが生じるね、みたいな感じで。

あるいは、できるはずのものや、できていたものが、できなくなる、そういった意味もありましょうか。



ただし、ユングはすぐさま、「このことに対して私は、コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものでないとただちにつけ加えることによって、限定を加えなければならない」と言っています。

何だかユングらしい、ちょっと難解な言い回しですけど、言いたいことは、「コンプレックスをもつことは必ずしも劣等性を意味するものでない」と。確かに、コンプレックスを持つことで困ったことが生じる。人ができていることや、以前はできていたことに、支障が生じたりする。でも、コンプレックスを持つという意味は、それだけではないんだよ、と言っているのです。それだけではないこともあるんだ、と。

(「限定を加える」ということですけど、「コンプレックスを持つこと = 劣等性も持つこと」という点において、限定を解除しているわけですね。それだけではないと)


コンプレックスについて、その問題や困難さは無視できないが、それだけではない。

ただ、それは、「必ずしもそうではない」だけに注目して、問題や困難さを無視していい、ということでもない。

つまり、どちらも包含していると。

確かに困る、でも、そこに意味を見出すこともできる、というわけです。



「コンプレックスをもつことは、何か両立しがたい、同化されていない、葛藤をおこすものが存在していることを意味しているだけである」

コンプレックスに注目してゆく時、こういうものが見えてくるんですね。


例えば、理由もなく貶したく(けなしたく)なることは人間なら誰にでもありますが、コンプレックスが関わっている場合、「貶す」とか「嫌う」という感情と共に、「惹かれる」とか「うらやましい」とか、「好き」だとか、そういう、自我が否定したくなるような感情も、無意識下には隠されていたりするんです。

「怒り」の裏に「愛情」があったり、「諦め」の裏に「渇望」があったり、そういうものがあったりする。

逆に言えば、そういうものがあるからこそ、こだわるんですね。



よく書いていることですが、関係なかったら怒らないし、腹も立たない。むしろ、関係あるから、そうなる。

ただ、その関係や、そこに生じる感情が複雑で、こんがらがって絡まっているから、「コンプレックス」であると。



こういう、両方のもの、ある意味、両極端なもの、その間で、人間は悩んだり苦しんだりする。訳が分からなくなったり、説明のつかない混乱に見舞われたりする。

実は、それがコンプレックスの症状だと。



ただし、ユングはこう言います――

「多分それは障害であろう。しかしそれは偉大な努力を刺戟するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちであろう」


それは確かに、困ったことである。混乱もするし、行動が制限されたりもする。できないことが生じたりもする。しかし、そうなるには意味があると。

「現時点」という意味では、困る。悩む。

ただ、その先があるのだと。





コンプレックス (岩波新書)
コンプレックス (岩波新書)





「コンプレックス/ユングの言葉(2)」に続きます…





【関連記事】
「タイプの功罪/勝ちすぎる機能」
「劣等機能/タイプの縛り」

「タイプ論の目次/ユング心理学」


『コンプレックスとは?/城太郎日記』




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悩みの中にある時、人は「何でこんなことに…」と思ってしまいます。

今まで安定していたのに、今までは問題なかったのに、というわけです。



これにはいろんな見方があって、ひとつには、「問題が隠されていた」という側面があります。

その問題は、自我が受け止めるにはあまりにも大きすぎた。負担が大きすぎる。

だから、無意識内に保留された。

人間の心が壊れてしまわないように、無意識の中にしまわれた、というわけです。

いわば人間の心の、保護機能ですね。


外科的な痛みでも、あまりにも痛みが大きい時は、気絶するなどして、回線がシャットアウトされるでしょ?

それと同じようなシステムです。



ただ、痛みの原因を放っておくのは、身体的なものであっても、精神的なものであっても、やはりよろしくないわけです。

どこかで決着をつけなければならない。

それを助けてくれるのが、「時間」です。

時間が人を癒してくれる。時間が傷を回復してくれる。そういうところがあるでしょ?

この部分と、それでも原因となる核は取り除かれたわけではないという部分、それが絡み合います。

ざっくり言えば、自我がそれなりに成長し、知らないうちに場が整ってきたら、その核と向かい合うことになってくると。



「何でこんなことに…」というのは、ある意味では、その合図なわけです。

人間、必要でないことはしません。ということは、問題に際し、「何でこんなことに…」と思いつつも、試行錯誤するおかげで、やっと行動を起こせると。

今まで保留してきた問題と向かい合えるというわけです。



ユングの言葉を借りるなら、「しかしそれは偉大な努力を刺戟するものであり、そして、多分新しい仕事を遂行する可能性のいとぐちであろう」ということ。


その隠された問題は、保留されるだけあって、しんどいもの。つらいもの。悩ましいもの。

おそらくは、人の心をえぐり、傷つけるものです。

ただ、それに取り組むという、新しい仕事をすることによって、人間や人間関係、それらを取り巻く布置が、変化するのだと。

核となる問題が保留されたおかげで、心の深手は防がれた。(もっとも、深手が防がれただけで傷はあるし、その深さだってけっこうなものだとは思いますが。つまり、壊れるほどではないけど、傷ついている)

その次のステップとして、コンプレックスとの対決が生じるというのです。



過去の心の傷がようやく塞がってきて、また、生きている過程で成長もあった。ある程度の余力もできた。そんな風に場が整ってきて、やっと、本当の問題と向かい合えると。

「偉大な努力」、偉大な仕事につながる努力が、コンプレックスに関する問題や障害によって、引き出されるのだということです。

物語風にいえば、困難な冒険が英雄を作ると。

そんな場のセッティングが、出てくるんですね。




それは簡単な仕事ではない。

つらいし、悩ましいし、できることならやめてしまいたい。そう思えるようなものです。

死の危険さえあるかもしれない。

ただ、その先にこそ光があって、人間の思惑を超えた高次の自然作用が、人間をそこに導くのだということかもしれません。



善悪にこだわったり、現時点にこだわると、その先は見逃されてしまいますが、時が人間を癒してくれるように、我々の先には、我々の知らない何かが待っているのでしょう。




「もうダメだ」

そう思っても、時間が立ち直らせてくれるように…





ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)
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【関連記事】
「コンプレックス/ユングの言葉(1)」

「防衛機制――パターン」
「麻痺…その一/防衛機制」




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年初の記事で書いたとおり、最近ユングについての記事を掲載していないので、一度、全体にわたって簡単に解説したいと思います。

ただ、元が難解なものなので、どこまで説明可能かは未知数です。しかし、私には武器がある、そう“あまり上等でない頭”という武器が。

私は天才でもないし上等な脳みそも持っていませんので、物事はある程度、噛み砕かないと十分に理解できません。ということは、理解する過程で自分で理解しやすいように咀嚼しているはずなので、それを使って何とかやってみます。

特にどう書くかは考えていないのですが、以前読んだ アンソニー・スティ-ヴンズ著 鈴木晶訳「ユング」という本、それを読んだ際のメモ書きを元に、進めたいと思っています。


ある程度定期的になるか不定期になるかはテンションと体調次第ですが、よろしく御願いします。





【ユング心理学概説】

[01] 「無意識の人格化と個性化」
[02] 「元型と集合的無意識」
[03] 「無意識の中の蓄積 集合的無意識と元型」

人生の諸段階
[04] 「自己と自我」
[05] 「ペルソナ」
[06] 「影」
[07] 「影コンプレックス」
[08] 「カテゴリ 男と女」
[09] 「父なるもの 母なるもの」
[10] 「アニマ、アニムス、自己調整システム」
[11] 「人生のプログラム」
[12] 「前進の力学」
[13] 「求めるもの」
[14] 「正午の鐘」
[15] 「個性化と夢」
[16] 「個性化とは」


心理学的タイプ
[17] 「二つの態度と四つの機能」
[18] 「八つのタイプ」

[19] 「外向的感覚型」
[20] 「内向的感覚型」

[21] 「外向的思考型」
[22] 「内向的思考型」

[23] 「外向的感情型」
[24] 「内向的感情型」

[25] 「外向的直観型」
[26] 「内向的直観型」

[27] 「類型論の用い方 そして 解放」

夢の源泉
[28] 「自然なるもの」
[29] 「夢の補償作用」
[30] 「夢の象徴表現」
[31] 「夢の拡充 4つの段階」

精神療法
[32] 「精神療法(1)―聴かないと分からない―」
[33] 「精神療法(2)―物語が人を癒す―」
[34] 「精神療法(3)―魂の充足―」
[35] 「精神療法(4)―ひとりの人間として―」
[36] 「精神療法(5)―個人的理解が役に立つ―」

[37] 「精神療法(6)―意識する苦しみと意識しない苦しみ―」
[38] 「精神療法(7)―アルス・スパギリカ(錬金術的技術)―」
[39] 「精神療法(8)―最初の関門―」
[40] 「精神療法(9)―能動的想像法―」



ユング (講談社選書メチエ)
ユング (講談社選書メチエ)



ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)
ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)



図説 ユング―自己実現と救いの心理学
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「タイプ論の目次」
「カテゴリ:ユングの用語」

「性格 エニアグラム」


「やさしいユング心理学講座」




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A・スティーヴンズは、ユングがバーゼル大学に提出したという学位論文「いわゆる心霊現象の心理と病理」の中に、後に彼の心理学の中核となる、二つの考え方の源を見出しています。それが以下の二つ――



(1)無意識的な心のなかに存在している部分人格、あるいは「コンプレックス」は、トランス状態、夢、幻覚などにおいては「人格化」することがある。

(2)人格発達の真の作業は無意識のレベルで進行している。




「無意識的な心のなかに存在している部分人格」とは、何でしょうか?


例えば、我々は自分の感情、あるいは態度や行動を、知らず知らずの内に、抑圧していたりする。我々の中には、ルールや囚われ、恐れなどがあり、それらが知らない間に強固なタブーを形成し、本来表に出るものを抑えつけ、無意識に追いやっていたりするのです。

ある時は、別にしないでいい我慢をしていたり、またある時は、執拗に何かを避けたり、何らかの理由で「○○してはいけない」という絶対順守の掟を作り、それに従っていたりする。

いや、そもそも、「○○してはいけない」という意識さえなく、ただ、そうしていたりする。

確立された「○○してはいけない」という経路は、深い溝に水が流れるように、意識しなくても自動で流れるようになります。自動に、つまり無意識に、処理される。

何だか分からない、でも、そうしてしまう。そういうことになってくる。

考えることも意識することもなく、ただ当たり前にそうする。まるで反射です。あまりに当たり前すぎて、途中の意識的な処理が省かれてしまう。


「○○してはいけない」。そんな掟ができるということは、そこにはある程度の――あるいはそれ以上の――正当性があるのでしょう。

ただ、物事が多面的である以上、そこに欠点や邪さがあるにしても、それ以外のものも包含されていることになる。世の物事は、その割合は別にしても、よい面と悪い面の両方をあわせ持っているのです。だいたいが、よい面と悪い面というのは人間の――それも、その時代だったりその地域だったりの人間の、もっといえば個々人の――主観によるものなのですから、存在というものに対し、いいも悪いもないことになる。

この辺の詳細は後に語ることになると思いますが、ともかく、我々は生きている内に、“生きていない部分”というものを、無意識下に形成させるものなのです。無意識に押しやる何かを持つことになります。


北に向かえば、南からは離れます。明るいほうに近づけば、暗いほうから離れることになる。これと同じように、考えることを重んじれば、感情というものから離れたり、みんなと付き合うことを重んじれば、自分の内面を深めることから離れたり、何事においてもそういうことが生じる。

何かに向かえば、その反対からは離れるし、何かを手にしようとすれば、その反対のものを手放すことになったりと、そういうことが生きている間に起こるのです。

何かをするということは、その反対の別の何かしないことだったり、放置することだったりします。

で、そういうものが無意識の中で、生きているわけです。放置されているから死んでいるのかというと、そうではなくて、見えないだけで生きているのです。



我々はそれを見ることはないし、意識することもありません。が、それはあくまで「基本的に」というだけ。

上に書いたように、「トランス状態、夢、幻覚などにおいては『人格化』することがある」ということになる。


無意識の中に潜む何かが、例えば、夢の中で顕現するわけです。

我々は夢の中の登場人物を、夢の中で見える“その人”だと思ってしまいます。

例えば、近親者ならその近親者、有名人ならその有名人本人だと。

しかし、上の考えによるなら、それは近親者なり有名人なりの姿を借りているだけで、その本質は違うと。(細かいことをいうなら、その目に見えるものと同じ性質を有した、もっと根源的なもの、ということになります)

その中身なり本質は、当人の中にある“何か”、無意識の中に生きている“何か”だというのです。

この辺の細かいところも、後々書いてゆくつもりです。(「夢」とか「象徴」のところになるかな?)





A・スティーヴンズによれば、これらの考えが以下のものを生んだといいます。それは――


(1)’能動的想像法
(2)’個性化




能動的想像法については別に書くとして、ここでは個性化の概略について説明します。


上に書いたこととも通じますが、我々は生きている内に、ある種のパターンのようなものを持つようになります。

例えば、考えるタイプの人は、何かにつけて考える。感情に従う人は、何かにつけ感情に従う。人と共有しようとする人は多くを共有しようとするし、自分の中で深めるタイプの人は、それが何であれ、多くを自分の中で深めようとする。

正しさにこだわる人は多くのことをちゃんとしたいと思うし、安全にこだわる人は何かにつけ安全であろうとする。楽しくやりたい人は何でも楽しもうとするし、穏やかでありたい人はいつも穏やかでありたいと願います。

(「いつも」といっても正確にいつもではありませんが、概ねそうだったりする。大まかなパターンは有していたりする)


このように我々は何かしらの性格を持ち、それに沿って生きる。

ということは、その性格に沿った部分をより多く生きる。それを強化し、成長させる。

いつも使う部分というのができて、それを好んで使用するようになる。


実はこれ、歪(いびつ)なことでもあるんですね。

例えるなら、右手ばかり使う人は、右手ばかり発達して、左手は未発達になります。

実際の我々は何やかんやいいながら右手も左手もそれなりに使いますが、性格的なものにおいては、時に、一方をすごく重んじて、もう一方はめったに使わなかったりする。

この辺も「タイプ論」のところで説明しますが、人間のタイプ(態度や機能)はペアをなしており、しかも相反する性質だったりする。だから、一方に偏れば、もう一方は手つかずになるのです。相反することを同時には行なえないから。

外向的な生き方と内向的な生き方を両方同時にするのは難しいでしょ? 他にも、自分のことを考えようというのと、他人のことを考えようというのも、同時には出来ない(まったくできないわけでもないでしょうけども)。あっちを見たらこっちには背を向けることになるし、こっちに一生懸命になったらあっちはなおざりになってしまう。

その結果、例えるならまるで、右手だけ巨大化した人のような、目だけが発達したような、耳だけが発達したような、そんな歪さを、我々は持つことになるのです。

ま、あくまで例えですが。


それを補うのが、全体性の獲得です。

何かひとつが突出するのではなく、もっと全体的に身につけ、まるで球のような存在になる。

どこかが突出して尖っているような存在ではなく、それなりにまんべんなく持っている、そんな存在になる。

今まで見てこなかったものにも目を向け、あるいは、考え、感じ、受け取り、今まで生きてこなかった部分を生きる。



個性化とはつまり、人格発達の最終的到達点は全体性、つまり個人的状況が許すかぎり完璧な人間になることである。




ケッタイな例え方をするなら、右手ばかり使って、それにより右手だけが発達していた人が、左手も使うようになり、あるいは、足も使うようにもなり、そんな風にやがて全体をある程度発達させ、できうる限り完璧な人になってゆく。そういうイメージでしょうか。


そういうことと共に、もっと単純な理(ことわり)もありますよね。

身体の一方ばかり使っていると、やがて調子が悪くなる。姿勢が一方向にばかり傾くと、これまたおかしくなってくる。身体のどこかをあまりに使わないと、それはそれでバランスを崩したりする。

人間総体、心と身体をあわせた全部のことを考えても、こういうことが言えるわけです。

人間の中にある補償作用と共に、実際問題不具合が出るという現実もあると。



だから、個性化という意味でも、全体性を獲得しなければならないし、もっと個体維持的な意味でも、バランスを回復させねばならない。広い意味で死なないように、どこかでやり直すことは必要なわけです。



ということを踏まえつつ、次回に続きます…





能動的想像法―内なる魂との対話
能動的想像法―内なる魂との対話



ユングと心理療法―心理療法の本〈上〉 (講談社プラスアルファ文庫)
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ユング心理学概論の目次





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生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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