ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
加藤諦三 著「自分に気づく心理学」(PHP)より。



第1章 ひとづきあいが苦しいのはなぜか?

(P20)あなたの周囲の愛すべき人、憎むべき人



我々はリンゴを見たら、それをリンゴだと認識します。それは、我々がリンゴという物を知っているから。単に言葉で知っているだけではなく、形や味など、経験的にもいろいろと知っています。

なので、「あっ、リンゴだ」というような時、単に言葉だけでなく、イメージのようなものも受け取っている。


ところで、リンゴの形をした、別の物があったとしたら、どうだろう? それは外見上はリンゴだけれど、味は全然リンゴとは違う、まったくの別物。

ある人は、それをリンゴだと思って生きてきた。その人にとってリンゴは、みんなが知っているリンゴではなく、まったく別物のリンゴ。そんな場合、どうなるでしょう?

おそらく、他のみんなとその人では、リンゴに対する認識において、ギャップが生じるでしょう。みんなが思うリンゴと、その人が思うリンゴでは、全然違う。

この「リンゴ」を、「家族」に置き換えたら、どうだろう? あるいは、「ふれあい」に置き換えたら、どうだろう? そこに、何が生じるでしょうか?



さて、人間にとって欠かせないものに何があるでしょうか? 食べ物、着る物、住む所、愛情、気の許せる相手、いろいろとあると思いますが、そのひとつに「理解」もありそうですね。

・理解されると、うれしい。
・理解されないと、悲しい。

・理解は人を育てる。
・不理解は人を挫(くじ)く。



先週は、「我慢」について触れました。その前には、「他人に拒否されることを怖れる」ということに触れた。そして、これらも、「理解」に関係するという。

加藤諦三さんが言うように、子どもは本来、ワガママです。小さければ小さいほど、そうでしょう。なのに、早い段階で(自分の)ワガママを禁じる人がいるという。子どもらしいワガママも、自らタブーとし、禁じます。

では、なぜ、そうなってしまうのでしょう?

それは、ワガママをすることで拒否されることを怖れるから。小さい子にとって、受け容れられるか拒否されるかは、死活問題なのです。なので出来るだけ、拒否されないようにします。そういう心理が働く。

小さい子は基本的にワガママである。これを理解する人は、子どもを極端に拒否することもないでしょう。後々、我慢を覚えてもらうにしても、そんなには急がない。そんな状況が、子どもに安心を与えます。

この信頼感を基本にし、子どもはだんだんと成長する。

度の過ぎたワガママを叱られることはあっても、それなりのワガママを許されることでホッとし、安心します。そういうことを無意識に試すことも、きっとあるんでしょうね。自分が存在することを赦されているか確かめ、安心し、それを土台として生きていきます。


ただ、悲しいかな、子どもに大人がするようなことを要求する人がいる。それはまるで、小さな子に大きな荷物を負わせるのと同じようなことです。客観的に見れば どだい無理なことなのですが、そうしてしまう。

そんな時、子どもはどうなるか?

満足にそれをこなせない自分を責めます。自分は無力だと思い込んでしまう。ふつうなら「子どもだから」と思うところですが、そうは思えません。結果、持たないでいい罪悪感で、自分を傷つけてしまいます。


多くの場合、子どもはそれさえも意識しません。ただ、成長と共に、何らかの症状が出てきたりする。例えば、訳もなく憂鬱になる、ささいなことでカッとする、不安な気持ちが去らないなど。

そこには「考えと気持ちの行き違い」があるようです。

加藤諦三さんの言葉を借りれば、「あなたを理解することなく、あなたをもてあそんだ人を憎んではいない。逆にあなたを理解し、あなたに温かさを与えてくれるような人を憎んでいたりする」(P21)ということに。

憎んでもいい人を憎めない。憎もうとすると、罪悪感にやられてしまう。それでいて、思いやりのある人や、何でもない人に、あたってしまいます。本来向けるべき方向に感情を向けられないので、他の方に行ってしまうのです。


憎めないのは、心がないからでしょうか? 実は、そうではありません。心があるから、憎めないのです。そこにあるのは、「憎みたくない」という心。「信じたい」という心。「きっと分かってくれる」という期待。

でも、それらが裏切られ続けるので、心の方がどうにかなってしまいます。


ここで言いたいのは、「さあ、憎みましょう」ということではありません。相手の全人格を否定しなさいということでもない。だいたい、それができないから苦しんでいるともいえるのだから。

我々は、多くの混同をやらかします。全部を同一に扱うことで、苦しむ。ここでいえば、「ひどいこともあった」「でも、やさしくもされた」、「ゆるせない」「でも、いいところもある」など。

なので、分ければいいのです。整理すればいい。

全人格を否定することはない。人間の全部を憎むこともない。ただし、ひどいことには怒ればいい。ゆるせないことには抗議すればいい。全部を悪なるものとすることはないけれど、そのうちの悪なる行為は憎んでもいいのです。

つまり、人は憎まないでいいので、ひどい行為には怒っていいと。



怒るべきことに怒らない人は、別のところでイライラしたり、別のことに怒っているものです。

憎むべき人を憎まない人は、別の人を憎んでしまったりする。

そして、感情を抑圧すれば、心身がやられたり、どこかで不器用な爆発をしてしまったりする。


望まれるのは、健全化。

正しい方向性を持たせ、感情を処理することのようですね。

そしてそれには、自分と身近な人の、考えや態度や行動が、深く関わっている。

感情は、それに対する自然な反応なのです。





自分に気づく心理学




子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方






憎しみを否定している?

それとも、憎しみに囚われている?





<<「第3回 勝手に我慢して不機嫌になる」「第5回 甘えるのが苦手だと深い関係になれない」>>




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生息地:関西
分類:昭和人間
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黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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