ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
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ミヒャエル・エンデ作

モモ
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語

そのレビューと感想



第1回「石ころのような少女」



(第1章「大きな都会と小さな少女」より)


人が集まると、街になる。

街には、物も集まる。

人と物が集まって、文化が生まれる。

そのひとつに劇場があったそうです。

シアターの語源は、古代ギリシャのテアトロン。

これは、階段状の観客席をさします。

たくさんのお客が階段のような席に座り、舞台上に見入ります。

舞台の上にあるのは、人生。

物語上の人物が、それぞれの人生を生きます。

そこには、小さな世界がある。

そして観客も、その世界に入り込んでいきます。

こっちの世界に生きながら、舞台上の、あっちの世界を経験する。

そう考えると、何とも不思議ですね。



この物語の街にも、円形劇場が存在します。

でもそれは、円形劇場でありながら、円形劇場だったもの。

当時の面影を残しながらも、廃墟(はいきょ)になってしまっている。

大都市のはずれ、街が終わって畑になり、家の数も少なくなる。

そんな場所に、円形劇場だった廃墟があります。

今は、忘れられた存在。知ってる人は知ってるが、知らない人は知らない、そんな場所。


そんな廃墟に、ある日、人が住みだしたという噂(うわさ)が出ました。

それも、女の子が、ひとりで。

名前は、モモ。背が低く、やせっぽちで、あまり清潔とはいえない格好。

歳も、小学校高学年くらいだとは分かるものの、詳細は分からない。

夏は素足で、冬は拾った左右バラバラの靴を履いている。

スカートだって、つぎはぎだらけ。

スカートにつぎはぎをあてたのではありません。つぎはぎをはり合せて、スカートにしたのです。

上着はちゃんと、一枚ものですよ。

ただし、大人の、男の人の物。袖があまりに長すぎるので、折り返しています。

髪は、もさもさの巻き毛。

でも、目だけは、美しかった。黒い、大きな、きれいな目をしていました。


劇場には、いくつかの小部屋がありました。

モモはいつからか、そこに住むようになっていた。


そんなモモを、訪ねる人たちがありました。

女の子が住んでいるという噂を聞いた、近くに住む人たちです。

モモは最初、不安になりました。

だって、追い出されるかもしれないと思ったから。


でも、話を聞いている内に、だんだんと、みんなが親切な人なんだと分かってきた。

みんなも、あまり裕福とはいえない人たち。

だから、貧しいのをさげすむこともないし、そのつらさも知っている。


話を聞いて分かったのは、モモに帰る家がないこと。

お父さんも、お母さんも、いないこと。

歳を聞いたら、「百」と答えた。

といっても、それはモモが数を表す言葉を少ししか知らなかったから。


みんなは最初、警察に知らせることも考えました。

そうすれば施設に入って、住むことと食べることに困らない生活ができる。

でも、モモは、「いやよ」と言いました。

だってモモは、そこにいたのだから。


とはいえ、モモは小さい。

なので、誰かの家に世話になってはどうかと提案しました。

でも、モモは、ここに住みたいのだという。

みんなは相談し、モモをこの円形劇場に住まわせることにしました。

誰かが引き取るのではなく、みんなで世話することにした。


そうと決まれば、やることをやればいい。

みんなで部屋を片付けて、石のかまどまで作った。

小さな煙突も取り付けたし、木箱と板で、テーブルとイスだって作った。

古いベッドと、ちょっとだけ破れたマットも運ばれました。

何も買いませんでしたが、廃墟の一室は、気持ちのいい小部屋になりました。

ステキな花の画だって、額縁付きで飾られた。

といっても、左官屋さんが、額縁付きの画を壁に描いたのですが。


大人がそうしていると、子どもたちは、食べ物を持って来てくれました。

裕福ではありませんから、少しずつ。

でも、少しがたくさん集まって、ちょっとしたものになった。

その晩、ちょっとした宴会がやれるほどに。


こうして、モモとみんなの、友情がはじまったのです。





モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)






<感想>


P19には、こう書かれてあります。


その宴会は、まずしい人たちだけがやり方を知っている、心のこもったたのしいおいわいになりました。




ちょっととちょっとが集まって、ちょっとしたものになる。

ちょっとは、「わずかなもの」。でも、それが集まると、「立派とはいえないものの、かなりの物」=ちょっとしたもの、になる。

まずしい人は、そんな知恵を持っているものですよ。


知ってました?

日本て、ほんの少し前まで、おおむね まずしかったんです。決して、豊かではなかった。

クーラーも、ビデオも、お金持ちしか持っていませんでした。

パソコンも、携帯電話も、ありませんでした。

でもね、「ちょっとした楽しみ」は、たくさん知ってたんですよ。

今では贅沢(ぜいたく)といえない、ちょっとした贅沢を、知っていた。

限りあるお金、限りある物、そんな制限の中で、つつましいながらも、大人も子どもも、楽しんでいました。

楽しみや喜びを見つけるのが、上手だったんです。



さて、何ともさえない格好をした少女、モモ。

まるで、石っころのようです。

でも、石とはおおざっぱな見方。

石にもいろいろあるので、どんな石かは分かりません。

特に、パッと見ただけでは、みんな同じに見える。

ようく見て、ある時は待って、そうしないと、それがどんな石かは、分かりません。


貼られた札では、それがどんなものかは、分かりませんぞ…





貧乏だけど幸せ―われら日本人・昭和25~35年の実写記録 (コロナ・ブックス)






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ミヒャエル・エンデ作

モモ
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語

そのレビューと感想



第2回「何も持ってない、特別な女の子」



(第2章「めずらしい性質とめずらしくもないけんか」より)


近所の人たちの支援を受けて、モモの暮らしは ぐっとよくなりました。

いや、なに、贅沢(ぜいたく)はできませんよ。

でも、食う物に困らなくなったし、雨露もしのげる。

何よりうれしかったのは、たくさんの友だちができたことです。


モモの生活は、好転しました。

そして不思議なことに、みんなの生活も、好転した。

みんなは次第に、モモが来てくれたこと、モモがいてくれることの、幸運に気づきはじめました。

というのも、モモはすごく役に立ったから。


やせっぽちの、ろくに何も持っていない、小さな女の子。

確かに、物は持っていませんでした。

でも、ひょっとしたら、それがよかったのかもしれない。

みんなは口々に言いました。

「モモのところに行ってごらん!」


モモのところに、何があるんでしょう?

特別な何かがあるのでしょうか?

面白い話? いい考え? 癒し(いやし)の言葉?

聞きほれる歌? 素敵なダンス?

ためになる予言?

そんなものは、ありませんでした。

特別なものは何もない。

何もないのだけれど、それでいて特別なものがあったようです。


モモはとことん、相手の話を聴きました。

大きな黒い目で相手を見ながら、じっと耳を傾けた。


モモを相手に話していると、不思議なことが起こりました。

考えがまとまらなかった人も、考えがまとまってくる。

答えが出なかった人に、答えが出る。

分からなかったことが、分かってくる。

今まで無かったものが、急に出てきたりした。

といっても、物が出てくるわけではありません。

意志とか、勇気とか、希望とか、明るさとか、そんなものが出てきた。

自分の間違いに気づくことも、少なくありません。

ちっぽけだと思っていた自分が、そうでないことに気づいたりする。


モモを相手にしゃべっていると、こういうことが起きたのです。

だから、みんなして言いました。

「モモのところに行ってごらん!」



ある日、モモのもとを、ふたりの男が訪ねました。

このふたりはお隣同士なのですが、殺し合いをしそうになるほど、仲が悪かった。

そこで、他の人たちが、モモのところへ行くように、アドバイスしたのです。

モモを訪ねたふたりですが、モモをはさんで、睨み合う(にらみあう)ばかり。

今にも、噛みつき合いそう。


モモは、どちらにも話しかけませんでした。

あちらを立てれば、こちらが立たず。

ふたりから同じ距離になるように座り、じっと待っていた。

というのも、何も持ってないモモですが、時間だけはたくさん持っていたから。


やがて男のひとり、左官屋のニコラが帰ると言いだしました。もうひとりの男、居酒屋のニノに悪態をつきながら。

こうなると、ニノも言い返します。相手を、ののしる。

やがて殺す殺さないという言葉まで出はじめました。ニコラも、ニノも、顔を真っ赤にしながら、相手を非難している。

ニコラも、ニノも、相手がいかに悪いか、モモに説明します。

話を聴いていると、確かに相手が悪いと思える。でも、その前には、言っている自分も悪いことをしていたりする。その連続です。

いわば、仕返しの仕返しの、そのまた仕返しの――という感じ。

顔を真っ赤にして言い合っているうちに、そのおおもとが、だんだんと見えてきました。

どうも、互いは互いのプライドを傷つけていたらしい。

ほんの冗談だったにせよ、互いは互いを侮辱していた。


モモはふたりの真ん中で、ふたりの顔をじっと見ていました。

何も言わず、じっと眺めていた。

そんなモモを、ニコラもニノも、じっと見つめました。

だって、もう、言うことがなくなってきたから。


そうすると、やがて、ふたりは恥ずかしくなってきた。

モモの大きな目には、自分が映っている。

モモを通して、自分の姿が見える。


やがてニコラが、ちょっとだけ、自分の非を認めました。

でもそこから、またひと騒動。

言い合いが始まりましたが、すぐに終わった。

おまえも悪い、おれも悪い、そしてばかばかしい。そんなところに、落ち着いたのです。

何だか全部流れて、どこかへ行ってしまった。


ふたりはやがて同時に声を上げて笑うと、背中をたたき合って抱き合い、モモに礼を言うと、帰っていきました。

殺し合いをしそうだったのが、親友のようになって、帰って行った。


モモはこの時、何もしませんでした。

いつだって、何もしない。

歌を忘れたカナリアが連れてこられた時も、何もしませんでした。

ただ、一週間の間、カナリアのそばで、ずっと耳を傾けていた。


モモの才能は、じっと耳を傾けること。

いつまでも、いつまでも、聴くこと。

モモは世界の声を聞くのが好きだった。

頭上の星に耳を澄まし、ずっと聞き入った。


それがやがて、身体に染みついたのかもしれません。





モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)






<感想>


聴くのは、たいへんなこと。

ついつい、こちらから話したくなります。

「でも」とか「でもね」と、口から出そうになる。


モモには、その「でも」がなかったみたい。

ただただ、相手の話を聴いた。

それは「フリ」では、できないこと。

誰にも、なかなか、できないこと。


不思議な少女モモは、その達人でした。



感情は、流れ。

人間の奥から、どんどん出てきます。

我々は、どこかで、それを出している。

時に、言葉で。

時に、表情で。

文章だったり、画だったり、音楽だったり、ダンスだったり、何らかのカタチで、出している。


でも、時には、目詰まりを起こすことも。

どこかで詰まって、おかしくなります。


モモは話を聴くことで、その目詰まりをなおした。

流れる先を、提供しました。

はじめ、ちょろちょろ、時には、どばっ!

みんな、何かしらを流し、出した。

そうすることで目詰まりがとれて、自然と流れるようになる。


モモはその方法を知っているわけではありませんでしたが、知らず知らず、身につけていたようです。

流れる先があると、それは自然と流れる。

はじめは多少不細工でも、やがてそれは、自然な流れになる…





こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)






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    「(3) 遊びの中のホンモノ」>>




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ミヒャエル・エンデ作

モモ
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語

そのレビューと感想



第3回「遊びの中のホンモノ」



(第3章「暴風雨ごっこと、ほんものの夕立」より)


モモを前に話していると、いろんなものが出てきた。

大人たちは、スッキリして、帰ってゆきます。

そしてそれは、子どもたちも同じ。

ただし、子どもたちは、主に遊びの中でそれを出したし、遊びとしてそれを出しました。

モモがいるだけで、なぜか楽しく遊べる。

何か特別なことをするわけじゃないけど、退屈しなくなる。

面白い遊びが、自然と浮かんできました。


ある蒸し暑い日のこと、10人ほどの子どもたちが、円形劇場で、モモの帰りを待っていました。

モモは近所をぶらつくのが好きだったのです。

けれど、空がだんだんとあやしくなってきた。

黒い雲におおわれてきて、今にも降りそうです。


女の子のひとりは「帰ろうかな」と言いましたが、他の子たちと話すうちに、モモがいなくても何かして遊ぼうということになりました。

この劇場を船に見立てて、航海ごっこをする。

みんなはその乗組員になり、冒険するのです。

言いだした男の子は、船長。別の子は、一等航海士。自然科学者もいれば、水夫もいる。

これは面白いと思ったみんなですが、なぜか、しっくりきません。

面白そうな遊びなのに、なぜか、やる気になれない。

まるで大事な何かが欠けてしまっているかのよう。


と、しばらくすると、モモが帰ってきました。


研究船<アルゴ号>は、波のうねりの中にあった。

船首に波が当たり、くだけます。

目指すは、南のサンゴ海。

しかし、この海域は危険極まりないものでした。

いたるところに、海の怪物が生息している。

そして一番厄介なのが、<永遠の台風>と呼ばれる大旋風(だいせんぷう)です。

この台風にやられると、どんな船も、ひとたまりもありません。


研究船<アルゴ号>は、この台風に備え、さまざまな装備が施されていました。

が、それでも、安全だという保障はない。

他の船長や乗組員なら、この危険海域に船を入れることはなかったでしょう。

でも、ゴルドン船長には、勇気があった。

そして、各分野の専門家である、乗組員たちを信頼していました。

歴戦練磨(れきせんれんま)の猛者(もさ)、ドン・メール一等航海士。

学術研究の指揮をとる、アイゼンシュタイン教授。

その助手の、マウリンとサラ。

この海の近くで生まれた、フーラ語で話す、モモザンもいる。


航海の目的は、<さまよえる台風>の原因をつきとめること。

そして、できれば、その原因を取り除くこと。

この海域を、おだやかなものにすることです。


突然、見張りの水夫が、大声を上げました。

前方に、ガラスの島が見えるというのです。


船長たちは、そのガラスの島に降り立ちました。

島はまんまるで、直径二十メートルほど。

真ん中は、丸屋根のように盛り上がっている。

島の内部では、光が脈打つように点滅しています。


マウリン助手はそれを、「ヒトクイオタフク・ビストロツィナリスらしい」と言いました。

サラ助手も、そうかもしれないと言う。でも、「オオグライ・タペトツィフェラだとも考えられる」とも言います。

ただ、アイゼンシュタイン教授の見立てでは、「ふつうのオバケアシ・チューチューネンススの一変種」だということでした。ただ、調べてみないと何ともいえない。


三人の女性水夫が、海に飛び込み、姿を消しました。

彼女たちは、スポーツ・ダイバー。

潜水のプロです。


やがてサンドラという女の子が浮かび上がってきて、叫びました。

オバケクラゲが出たのだという。

他の女の子は、クラゲの腕につかまってしまった。


救援要請(きゅうえんようせい)を受け、カエル部隊が海に飛び込みます。

指揮するのは、イルカとあだ名された老練な、フランコ隊長。

水中では、激しい戦闘が繰り広げられました。

しかし、カエル部隊をもってしても、オバケクラゲからふたりの潜水士を救い出すことはできない。


そこで船長と、ドン・メール一等航海士が相談し、あることを決断します。

ドン・メールはまず、カエル部隊を船に引き上げさせました。

そして<アルゴ号>を、オバケクラゲめがけて、突進させた。


<アルゴ号>の鋼鉄のへさきは、見事、オバケクラゲを真っ二つに引き裂いた。

そして、ふたりの潜水士も、無事、救われました。


ふたりを歓声で迎える、乗組員たち。

しかし、危機が去ったわけでは、ありません。

救出作業をしている間に、<さまよえる台風>が近づいてきていたのです。

激しく上下する、<アルゴ号>。

まるで谷底にでも、落とされたかのよう。

それでも、ゴルドン船長は冷静でした。甲板で、でんと構えている。

乗組員たちも、適切に作業していました。

ただ、海のむすめモモザンだけは、救命ボートに潜り込んでいた。

乗組員たちと違って、嵐にはなれてないのです。


世界は一変していました。

空は真っ黒になり、暴風雨が打ちつける。

風はまるで殴るように、船を叩きます。

波はまるで、船を打ちつけて壊そうとしているかのよう。


そんな中、船長は落ち着いた様子で、指示を出しました。

ドン一等航海士が、それをみんなに大声で伝える。

アイゼンシュタイン教授と助手たちは、台風の目を探していました。

船を台風の目に入れるため、位置を計算している。

過酷な状況の中、誰もがプロフェッショナルとして務めを果たしています。


数々の苦難が、船を襲いました。

落雷、それによる赤熱、息もできないような猛烈な雨。

大波はまるで、山のようです。


それでも<アルゴ号>は進んだ。

エンジンをフル回転して、台風に逆らうように、少しずつ進む。

機関室もまた、戦闘状態です。


そしてついに、<アルゴ号>は台風の目にたどり着きました。

!!

そこでみんなは、不思議な光景を目にした。

海面は、暴風によって平らに吹き払われ、鏡のようになっている。

その上で、巨大な怪物が踊っているのです。

一本足で立ち、まるで巨大なコマのように、怖ろしい速度で回っている。


教授がうれしそうに、叫びました。

「シュム=シュム・グミラスティクムだ!」

この怪物は、地球が生まれた最初の時期からの生き残り。今では顕微鏡でしか見えないような小さな変種しか残っていないはずです。

それが、巨大な姿で、目の前にいる。


船長は、航海の目的を忘れてはいませんでした。

みんながここにいるのは、<永遠の台風>の原因を取り除くため。

船長は教授に、この怪物をおとなしくさせる方法を聞いた。


が、それは、教授にも分かりませんでした。

そこで船長は、まず、大砲を一発、撃ち込んでみることに。


対怪物砲が、発射されます。

青い火炎が、怪物に向かっていった。

しかし、長い炎は、怪物をかこむ つむじ風に巻かれて、空に消えてしまいました。


こうなると、船長も、教授も、打つ手なし。

このまま引き返すしかないのか。


その時、誰かが、教授のそでを引っ張りました。

あの、うつくしい海のむすめです。

「マルンバ!」と、モモザンは言った。優雅な身振りをしながら。

彼女がフーラ語で伝えたのは、古い歌について。

民族に伝わる古い歌をつむじ風に向かってうたう勇気ある人がいれば、<さまよえる台風>はおとなしく眠り込んでしまう。

そんな言い伝えがあるというのです。


教授はそれを信じました。

はじめから偏見をもってかかるのは、よくない。原住民の言い伝えの奥ふかくには、真実がひそんでいることが多い。科学的な根拠が、そこにはあるのかもしれません。


船長は断をくだし、ためしてみることに。

教授はモモザンに、フーラ語でそれを伝えました。


「エニ メニ アルーベニ
 ヴァナ タイ スースラ テニ!」

モモザンは、歌にあわせて手を叩きながら、ピョンピョンと跳びまわりました。

それは言葉も、メロディーも、単純なものだった。だから、誰にでも、おぼえられました。

なので、乗組員たちが次々と加わり、やがて全員が、声をあわせ、手を叩き、飛び跳ねた。

ベテランのドン・メールや、教授まで、子どものように手を叩き、踊る。


すると、信じられないことが起こりました。

怪物は回転速度を落とし、しまいには止まって、海に沈みはじめたのです。

コマの怪物が姿を消すと、同時に嵐はピタリとやみました。

雨はいつの間にか上がって、空は晴れ渡っている。

海は穏やかで、今までのことがまるで幻のよう。


「諸君」と、ゴルドン船長は言いました。

「ついに成功した!」

そして、ふだん口数の少ない船長が、めずらしく一言つけ加えた。

「諸君のことを、わたしは誇りに思う!」




冒険が終わってやっと、女の子は雨に濡れたのを知った。

遊んでいる間に夕立が来て、びしょ濡れになっていました。

子どもたちはしばらく冒険についておしゃべりを続けていましたが、やがてそれぞれ、家に帰ってゆきました。

服を乾かさないといけません。


みんなの中でひとりだけ、航海の結末に不満を持った子がいたようです。

メガネの男の子は、別れ際にモモに言いました。

あれは残念だった。シュム=シュム・グミラスティクムをあっさり水に沈めるなんて。あの種の生物のたった一匹の生き残りだったのに。

「ほんとうはぼく、もっとよく研究したかったんだ」


そんな意見もありながら、あることについては、みんな意見が一致していました。

モモと一緒のときほど、たのしく遊べるときはない!





モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)






<感想>


子どもの遊びは、真剣。

だってそこには、ホンモノがあるから。

「ごっこ」は、何かになりきること。

「なりきる」とは、「すっかりそのものになる」こと。


プロレスごっこでは、プロレスラーになりきる。

ライダーごっこでは、ライダーになりきる。

○○ごっことは、○○になりきること。

だから真剣に入り込める。


モモは、遊びの達人でもあったようです。

それも、自分だけが入り込むのではない。

みんなを入り込ませる。

モモと一緒にいると、自然と、何かに、なりきることができます。

そのものズバリに、変身しちゃう。


不思議な女の子、モモ。

大人は詰まったものを出しちゃうし、子どもはいろんなものになりきる。

その時その時を、自然に生きちゃう。


「させる」ことなく「そうなっちゃう」なんて、モモとはなんと不思議な女の子なんでしょう…





子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫)




子どもの宇宙 (岩波新書)






「ごっこ」を笑いますか?

大人はけっこう、忘れてますよ。

ホンモノになることを。


籍や役割を与えられるのと、ホンモノのそれになっているかは、別。

呼び名は「それ」でも、「それ」になれているかは、また別の話。


子どもは「ごっこ」の中で、ホンモノの「それ」になろうとします。

だから、時々、大人も驚くようなことを言う。

ホンモノっぽいことを…





 <<「(2) 何も持ってない、特別な女の子」
    「(4) ベッポと時間差のカラクリ」>>




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ミヒャエル・エンデ作

モモ
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語


そのレビューと感想



第4回「ベッポと時間差のカラクリ」



(第4章「無口なおじいさんとおしゃべりな若もの」より、その前編)


たくさんの友だちができた、モモ。

そして、多くの人がそうであるように、友だちの中に、特別な人がいました。

モモの場合は、ふたり。

ひとりは若もので、ひとりは年よりです。


おじいさんの方は、道路掃除夫の“ベッポ”といった。

彼は円形劇場近くの、ブリキ小屋に住んでいる。

小柄な上に背中をまるめているので、背丈はモモと同じくらいに見えます。

白髪に、小さなメガネをかけている。


ベッポは町の人に、ちょっとヘンなんじゃないかと思われていました。

というのも、何を聞かれても、ニコニコ笑うばかりで返事をしないから。

でも、それには、ちゃんと理由がありました。

ベッポは、質問されたことについて、じっくり考えるのです。

そして、それが答えるまでもないものだと思うと、だまっている。

答えるべき質問の場合は、どう答えるか、じっくり考えます。

時間をかけて、たいてい二時間は、そして時には まる一日考えてから、返事をする。

なので返事された方は、「?」となります。

ずっと前に質問したことなんて、おぼえてないから。

だから、急にベッポが、おかしなことを言いだしたと思ってしまう。


ただ、モモは、違います。

モモは、聴く名人。いつまでも、待つ人。

ベッポが何か言うまで、いつまででも待てた。

だから、ヘンなことを言うとは思わないし、言うこともちゃんと理解できました。

さらに、モモは知っていた。

ベッポが返事に時間をかけるのは、間違いを言うまいと思っているからだと。

彼は、こう考えていました。


世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、

(P47)




ベッポは毎日、夜が明けないうちに、キーキー鳴る自転車で、仕事に出かけた。

仲間と共に、ほうきと手押し車をもらい、どこの道路を掃除するか、指示を受けます。

ベッポは、町がまだ眠っている、夜明け前のこの時間が、好きでした。

それに、自分の仕事を、気に入っていた。

だから、仕事はていねいにやりました。

とても大事な仕事だと、自覚していたのです。


じっくり考えるベッポは、道路掃除もまた、ゆっくりと時間をかけて、着実にやりました。

ひとあし進んでは、ひと息。ひとあし進んでは、ひと息。

時々は、ちょっと足を止め、前の方をぼんやり見ながら、物思いにふけります。

それからまた、はじめる。

その積み重ね。


そうしていると、ベッポの頭に、意味深い考えが浮かぶことが、よくありました。

でも、それは、言葉にはあらわしにくいもの。

ほのかによみがえってくる、何かのにおいとか、夢でみた色とか、そんな風に、なかなか人に説明できないようなもの。

仕事がすんでモモの隣に腰かけている時、ベッポはよく、そんなものについて話しました。

すると、舌はほぐれ、それにピッタリの言葉が出てくる。

モモは、そんな聞き手でも、あったのです。


ある日、ベッポは、自分の仕事について、モモに話したことがあります。


とても長い道路を受け持つと、これでは とてもやりきれないと思ってしまう。

だから、せかせかと、スピードを上げてやろうとする。

時々目を上げると、まだまだ残っている。ちっとも、減ってない。

だから、もっとすごい勢いで、働こうとする。

心配でたまらないから。


でも、そうすると、しまいには息が切れて、動けなくなってしまう。

こういうやり方は、いけない。


一度に全部のことを考えては、いかん。

次の一歩のことだけ、次のひと呼吸(ひといき)のことだけ、考える。

いつもただ、次のことだけを考える。


すると、楽しくなってくる。

これが、大事なんだ。

楽しければ、仕事はうまく はかどる。

こういう風にやらにゃあ、だめなんだ。


ひょっと気づいた時には、一歩一歩進んできた道路が、全部終わっている。

どうやってやり遂げたかは、自分でも分からない。

これが、大事なんだ。


ベッポはそんなことを、モモを相手に考え込みながら、時には長い休みを取りながら、話しました。



別の日には、こんなこともあった。


ベッポは、じっと考え込んだあと、「むかしのわしらに会ったよ」と言いました。

そしてまた、長いこと、だまり込んだ。

そのあと出てきたのは、何かのたとえのようなもの。

「よくあることだが――暑さの中でなにもかも眠り込んでいるような、まっぴるまのことだ――世界がすきとおって見えてくる――川みたいにだ、いいかね? ――底まで見えるんだ」

「その底のほうに、ほかの時代がしずんでいる、ずっと底のほうに」


それは、実際のことについて、話したことでした。

ベッポは、昔の市の外壁のところの、道路を掃除していた。

そこの壁には、ほかと色の違う、五つの石がはめこんでありました。

ベッポには、その石が分かったのだという。


そういう別の時代が、あった。

あそこで、おおぜいの人が働いていた。

その中に、ふたりの人間もいた。

そのふたりが、あの石をはめ込んだんだ。

あれがその印。


ベッポは長い時間をかけ、休み休みしながら、話しました。

言いたいことを言葉にするのに、たいへん苦労している。


そのふたりは、今とは違う姿だった。

あの頃のふたりは、ぜんぜん、違っていた。


やがてベッポは、怒ったような口調で言いました。

「だがわしには、わしらだとわかった――おまえとわしだ。わしにはわかったんだ!」



町のみんなは、ベッポじいさんのことを笑ったりした。

ヘンな人だと言う者もあった。

でも、モモは、ベッポが大好きでした。

そして彼の言ったことは全部、心の中に、大事にしまっておきました…





モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)






<感想>


ベッポじいさんは、町の人から、ヘンだと思われていました。

どうも、そこには「時間差のカラクリ」が、あったようです。


ベッポじいさんは、じっくり考える。

なので、質問にはすぐ答えません。

答えるのは、質問した人が忘れた頃。

質問した時には黙っていて、ずいぶん経ってから急に、答えます。

ということは、「聞いた時には答えずに、聞いてない時に答える」ことになる。

町の人にとって、質問と答えは、つながっていません。時間が経過しているから。

でも、ベッポにとって、質問と答えは――密接に――つながっています。


どうも、町の人とベッポじいさんでは、時間の流れが違うのかもしれない。

でもね、おかげで、ベッポじいさんは、みんなが見ないものを、見ることができるようです。

遅いけど、ゆっくりやるけど、おかげで見える風景もある。

この物語の、この章にも、いくつか金言(きんげん)が出てますでしょ?



ベッポじいさんは、言いました。

「世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくから生まれている、それもわざとついたうそばかりでない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ」


ウソは、わざと騙す(だます)ものだけではないようです。

せっかちすぎて、結果、ウソになる場合も。

正しくものを見極めないために、結果、ウソになる場合も。

そんな、「思ってもみなかったけど結果ウソになった」ことは、世の中にはたくさんあるのかもしれません。


そして、それがいつもだと、人はウンザリする。

落ち込み、傷つき、信用できなくなります。


そんな大事なことを知っているから、ベッポじいさんは、丁寧に、時間をかけて、考える。

みんなと同じように、不幸はできるだけ、避けたいから…





心理的時間―その広くて深いなぞ



変人偏屈列伝 (愛蔵版コミックス)





コンプレックスも、時間差のカラクリ。

人は目の前のことに感情を乱されると思ってしまうけど、その核は、時間を越えた別の場所にあるケースがある。


何かを前にすると、動揺する。うまく動けない。

でもそれは、目の前のものに原因があるのではなく、目の前のものにつながる、別の時間、別の場所にあるものから、影響を受けているのかも…





 <<「(3) 遊びの中のホンモノ」
    「(5) ジジと常識」>>




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ミヒャエル・エンデ作

モモ
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語


そのレビューと感想



第5回「ジジと常識」


(第4章「無口なおじいさんとおしゃべりな若もの」より、その後編)


モモのもうひとりの親友は、ベッポと正反対の人でした。

ベッポが年よりだったのに対し、こちらは若もの。

けっこうな器量よしで、夢見るような目をしていた。

そして、その下の口が、動く動く。

口から先に生まれたような、そういう形容がピッタリ。

たえず冗談を言って、へらず口をたたき、相手が思わずつられて笑ってしまうような、そんな笑い方をする。

彼の名前は、ジロラモ。でも、みんな、“ジジ”と呼んでいました。


ベッポは、道路掃除夫ベッポと呼ばれている。

ジジの場合は、観光ガイドのジジです。

でも、ジジは、決まった職業にはついていません。

彼は機会さえあれば、あれこれ手を出す。

そのうちのひとつが観光ガイドで、正式なガイドでもなかった。


ジジに観光ガイドとしてのシルシがあるとするなら、それは帽子でした。

観光客を見つけると、ジジはさっそく、この帽子を頭にのせる。

そして、もっともらしい顔をして近づくと、案内と説明をしてさしあげましょうと、申し出るのでした。

相手がのってくれば、しめたもの。ジジは、大ウソを、まくしたてます。


ウソの歴史、ウソの事件、ウソの人物、それを聞かされる、観光客。

中には、デタラメだと知って、怒る人もありました。

でも、たいていは本当の話だと信じ込み、ジジが最後に帽子を差し出すと、お金を入れてくれた。


そんな様子を、近所の人たちは、笑い話のタネにしていました。

でも、時々は、まゆをひそめ、デタラメの作り話で金もうけするなんて、と言うことも。


それに対し、ジジは反論しました。


詩人だって、そうじゃないか。

詩人に金を払う人は、ムダに金を捨ててるっていうのかい?

詩人からちゃんと、望みどおりのものをもらっているじゃないか!

学者の書いた本に出てくるか出てこないかなんて、そんなに違いがあるのかな?

学者の本に出てくる話だって、ただの作り話かもしれないじゃないか。

本当のことは誰にも分からないんだもの、そうだろう?


また、こうも言った。


本当だとか、ウソだとか、いったいどういうことだい?

千年も二千年も昔にここでどういうことがあったか、知ってるやつがいるってのか?

知らないならどうして、おれの話がウソだと言える?

ひょっとしたら、本当にそういうことがあったかもしれない。

そうだったら、おれの話は、正真正銘(しょうしんしょうめい)の事実だってことになるよ!


万事この調子で、ジジに口の勝負で勝つのは、困難でした。


そんなジジでしたが、観光客がこの円形劇場を見に来るなんてことは、めったになかった。

だから、あれこれと、他の仕事に手を出すしかありません。

公園の番人、結婚式の立会人、犬の散歩係、恋文の運び役、葬式の参列者、みやげもの売り、ネコのえさ売り、そのほか、たくさんの仕事をした。


ジジの夢は、いつか有名になって、お金持ちになること。

そうなったら、おとぎ話に出てくるような家に住んで、うんとぜいたくする。

そんな夢を思い描いていると、その名声の輝きが、今の自分を暖めてくれているように、ジジは感じます。

なので、夢を笑う人があると、ジジは怒りました。

「おれはやってみせるぞ! いまに思い知るときがくるからな!」


でも、どうやってその夢を実現させるか、ジジは自分でもはっきり言えませんでした。

いくらあたふた働いたところで、かせぐ金はしれている。


ジジはモモに、こう言いました。

「その気になれば、金持ちになるのなんか、かんたんさ」

「でもな、ちっとばかし いいくらしをするために、いのちもたましいも売りわたしちまったやつらを見てみろよ! おれはいやだな、そんなやり方は。たとえ一ぱいのコーヒー代にことかくことがあっても――ジジはやっぱりジジのままでいたいよ!」




このように、ジジとベッポは、正反対。

言うことも、していることも、違う。

人生観だって、真逆です。

でも、ふたりは、なかよしだった。

ジジを軽薄(けいはく)だと非難しない唯一の人がベッポで、変り者のベッポを笑わない唯一の人が、ジジでした。

といってもそれは、このふたりの話にじっと耳をかたむける少女、モモがいたからかもしれません。


三人のうち、誰も、自分たちの友情を疑っていませんでした。

そしてこの友情に、もうすぐ暗い影がさそうなどと、思ってもみなかった。

でも、その影は、三人だけでなく、この地方全体に、しのびよっていました。

じわじわと広がりながら、はやくも大都会の上に、暗くかぶさろうとしていた。


いつからか、灰色の男たちが、数を増しながら大都会をうろつくようになっていたのです。

ところが、誰も彼らに気づかない。

人の見ないものを見るベッポじいさんさえ、気づきません。

気味の悪いことですが、彼らは人目をひかない方法を心得ていて、そのため、人は彼らを見過ごすか、見てもすぐに忘れてしまうのです。

彼らは、姿を隠さない。

彼らはどこから来たのか、何人くらいいるのか、誰も気にしない。

その間に、秘密の仕事をこなします。


彼らは、しゃれた自動車で走り回り、家々に出入りし、レストランにすわる。

そして、しょっちゅう、小さなメモ帳に何やら書きこんでいました。

彼らは全身灰色で、服や靴(くつ)だけでなく、顔まで灰色。

小さな葉巻をくゆらせながら、灰色の書類カバンをかかえていました。


誰も、灰色の男には気づかない。

ベッポも、ジジも、気づかない。

でも、ある日、モモは見た。

廃墟(はいきょ)の一番高い縁(へり)の上に、彼らの黒い影が現れたのを。

彼らはヒソヒソと、何やら相談していました。

何を話しているか、声は聞こえませんでしたが、モモはふいに、これまで味わったことのないような、寒気におそわれました。

上着をしっかり巻きつけても、どうにもならない寒さ。


やがて灰色の男たちは帰って行き、それからは二度とあらわれませんでした。


そしてモモも、日がすぎるうちに、彼らのことを忘れていった…





モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)






<感想>


本当のことは誰にも分からないんだもの、そうだろう?

これは、ジジが自分のしたことを正当化するため、方便として使ったのかもしれない。

でも確かに、本当のことは誰も分からない、そういうことはありそう。


我々は社会で生きるために、ある程度の常識を身につけます。

でも、その常識が本当に当たり前のことなのか、分からないこともある。


人は言います。

「常識で考えれば、分かるよ」

でもね、それは、考えないことかもしれない。

常識だから、考えない。

常識だから、疑わない。


でも、その常識は、正しいのだろうか?

どこででも、いつでも、通用するのだろうか?


ある国とある国とでは、常識が違ったりする。

ある地方とある地方でも、同じ。

ある家族とある家族では、ってこともある。

場所が変われば、常識は変わるようです。


今と昔だって、同じじゃないですよね。

平安時代には平安時代の、江戸時代には江戸時代の、それぞれの常識がありそう。

今の常識から見ればおかしくても、当時はそれが常識だったりする。

そういう意味で、時間と共に、常識も変化する。


そんな常識ならば、今の常識が本当だとか、正しいとか、胸を張って言えるのだろうか?

時は流れる、時代は流れる、知らない間に、いろんなものが変わる。

ならば、気づかない内に、「場」が変わっていて、取り残された常識を信じ込んでいるなんてことは、ないのだろうか?


本当のことは、誰にも分からない。

特に、ただ信じ込んでいるだけでは、分からない。

じゃあ、分かるには、どうしたらいい?





「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)




あなたは常識に洗脳されている






ベッポは、今を受け取ります。

今を受け取るのは上手だけど、それを言葉で説明するのは、苦手。


ジジは、未来を見つめます。

未来を見るのは上手だけど、それを今に活かすのは、ちょっと苦手。


みんなに得意なもの、上手なものがあって、

それと同時に、苦手だったり、下手なものがある。


カタチは違うけどね…





 <<「(4) ベッポと時間差のカラクリ」
    「(6) クジラの金魚と新しい地球の物語」>>




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南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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