ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
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秋だから、実をためる


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季節がよくなってきたので(っていうか、暑くなってきたので)、
窓を開けていたら、子供の声が…

「ボ○」
「○ね」
「○したる」

…などなどとお互いに言い合う、過激な声が。
(もっと複雑なこと言ってたけど、忘れた…)



でも、私が子供の頃も、同じだったな…と、

過激なこと、言ってましたね~

まあ、子供ってことで(苦笑



うちは比較的、田舎にあるから、
夕方まで子供たちが遊んでいるし、
走っている子もいれば、川に入ってる子もいるので、
幸せな方かな…

発散できない方が、問題なような気がする…

走り回る環境も無いなんて、嫌だな~

(この私ですら、子供の頃は、五時のサイレンが鳴るまで走ってたもの…おっと、歳がバレる)
(昔は、片腹が痛くなるまで走ったり、夏なんか喉が痛くなるまで遊んだな…)



一瞬、過激だと思ったけど、
子供らしくて安心した。

(…安心かな? まあ、場所を選んでね(笑 )




【追記】

過激なことを言い合える仲、
ってのもあるしね…


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その昔、競馬騎手の武豊さんのエッセイの中で、
腕時計をすれば、体重の増減が百グラム単位で分かる、というような記事を読んだ記憶があります。



私は競馬騎手のように繊細な体重管理をしているわけではないので、百グラム単位は無理ですが、
確かに、腕時計をすると、体重の増減は分かるようになりました。



不摂生をして体重が増えてるときは、若干ベルトがきついし、
体重が減ったときは、若干ベルトがゆるく感じます。

他に身につけているもので、体重の増減は感じませんが、
確かに、腕時計では、増減が分かります。

それも、毎日腕時計をする習慣があるからでしょうか。



最近は、携帯電話を時計代わりにする人が多いそうですが、
どうも私には馴染めない習慣です。



腕時計といえば、小学生の時、父親の腕時計をお下がりに貰って、
嬉しかったのを覚えています。
(自動巻きの奴だったかな?)



で、何を言いたいかというと、

今日は体重増えてるな、と…

運動しないとな、と…



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先週末のこと、いつものように散歩していると、

五十代後半であろうか、
おじさんがスキップしている姿を拝見する機会があった。



公園というほどではないものの、
散歩コースほどには整備されている、川沿いの道。

ワンちゃんと一緒に散歩しているご婦人。
ウォーキングしている、三十数年前は新婚であったろう御夫婦。

そして 挙動不審なあやしい――って、何だと!! 私。

それぞれが二つの道が交差している辺りにさしかかろうとした時、
その二つの道の真ん中、
やや長めの草が無造作に茂っている部分を、
おじさんはスキップで駆け抜けたのである。



思えば、最近、スキップなんて代物にお目にかかった記憶がない。

しかも、それが(推定)五十歳はとうに過ぎているであろう、おじさんのものなのだから、
これはなかなかの貴重な経験なのではないだろうか。

(私以外、それを気にしている風でもなかったが…)





スキップというと、私がスキップを始めたのは、
確か、小学校低学年の頃だと思う。

あまりに不器用だったので、町中をスキップして練習したのを覚えている。
(町中は言い過ぎで、小さな町の、ごくごく狭い範囲だったけれども)

それで何とか――あまり上等ではないものの――スキップできるようになった。


と、思ったが、

よく考えてみると、
今スキップをやれと言われて、ちゃんとやれる自信がないことに気づいた。

いや、やれないことはない。
でも、かなり不細工なんじゃないかな、と思う。

(それ以前に、身体を痛める気もする(笑 )



といっても、そのスキップを試す場がない。

家の中でやるには狭すぎる。
公道でやると 通報される――いや さすがに恥ずかしい。

かといって、外の隠れた所でやっていて見つかったら、尚のこと恥ずかしい。


そう思うと、あのおじさんが偉大に思えてきた。

実にいいものを見たと思う。


きっと、あのスキップ自体にはあまり意味はないのだろう。

何か小躍りするほど嬉しいことが起こった、という状況にも見えなかった。

そうすると、何かの拍子に、自然に出たものと思われる。

で、それだけに素晴らしい。


自然にスキップなんて、出ないもんね。

出た記憶がない。

小さい頃はあったと思う。

でも、今はない。


だから、尊いと思う。



スキップか、あまり見んな…



【追記】

そもそも、スキップに至るような、
そんなテンションが枯渇していることに気づいた…

う~む…


(緊急指令、緊急指令、こちら毛利だ、直ちに現場に急行せよ)
(こちら鉄仮面、テンション、了解!)
(テンテン、よろしく)

(――って、それは「テンション」じゃなくて、「テンフォー」)
(って、マイナーすぎるか?)


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ふと、思い出したんですが、
私が小学生の頃、テレビの下には、いろんなものが入ってました。

といっても、テレビ台の中に、ビデオ(テープ)や取扱説明書が――
っていうのではないです。

当時、ビデオはなかったし、実は、テレビ台もなかった。

テレビ自体が、大きな家具みたいなもんで、
その足の下に、結構な隙間があったんですが、
その間に、裁縫道具とか、
金物の箱に入った何やよう分からんものとか、
私の小さなプラモデルとか、
誰が読むのか知らない小冊子とか、
何やかんやが、放り込まれていたもんです。

で、年末の掃除の時なんかに、
なくしたと思っていた玩具が見つかったりと、
そういうこともありました。



それから時が経っても、テレビというやつは結構、大きなものでして、
昔のように足の付いたものは見かけませんけども、
それでもなんかの拍子に、テレビの上にポイっと、物を置いたりしたもんです。

それくらいのスペースはあったんですな。

まあ、そのより前、足付きのテレビの頃は、
木彫りの熊とか、どこぞの土産物とか、
そういうのを白いレースの敷物の上なんかに置いてましたけども、
さすがに、そういうのはなかなか見ませんね。

他で用事してた時のものが、「とりあえず…」のつもりで置いたまま、
長いこと居座ってるくらいのもんです。

ああ、ものぐさ、掃除ベタ(笑



しかし、今や、テレビの上に物なんか置けない時代になってきた。

液晶、プラズマとか言っている間に、もう地デジだ…。

薄型軽量でいいんだけれど、なんというか、
テレビというものは大きくて重いものと、身についているものだから、
違和感というか、
正直、少しの、寂しさのようなものも感じます。


もう、「とりあえず…」なんていって、
物を置いたりできんのね…


ふ~ん…

何だか、ヘンな気分だ…


何やかんやで、時代は変わる、

いつも傍にあった、テレビまで変わるのね…

ふ~ん…




【関連】
『地デジ対応液晶テレビは「じっと我慢」が必要だった』
(エキサイトニュース)
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091160960869.html


[サイト内タグ]:  テレビ



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『なぜいつの時代も人は昔はよかったと言うのか?』

http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB001120/id/200712201101?vos=nr25gn0000001
http://news.goo.ne.jp/article/r25/life/r25-200712201101.html
(リンク先は現在、削除されています)


「昔はよかったね~」。つい言いがちなこの言葉。たしかに『ALWAYS 3丁目の夕日』や『タイムスリップグリコ』など、昭和30年代を題材にした作品も多い。一方で『熱血!!コロコロ伝説』などの昭和50年代後半~60年代前半のカルチャーも人気を得ている。これは、団塊の世代も団塊ジュニア世代も昔を懐かしみ、「あの頃はよかった」と思っている証拠。







私も歳をとったので、昔のことを想うことは多いですが、昔がよかったかというと、そうでもないんじゃないか、と思ったりします。

うん、いいところもたくさんありますけども、よくないところも、たくさんありましたよ(笑

ということは、逆に、今の時代、よくないところがたくさん目に付きますが、昔に比べて格段によくなったところも、たくさんあるということです。



昔と今とを比べて、格段によくなったところといえば、

・便利さ、
・はやさ、
・清潔さ、

などがすぐに思い浮かびます。

・暮らしやすさ、

なんてのもあって、夏はクーラーで涼めるし、冬はヒーターで暖まれます。

夏場、蚊に悩まされるなんてことも、あまりなくなりました。

でも、これもよし悪しで、冷房病なんて言葉も、最近よく耳にするようになりました。

私が子供の時分は、銀行とかデパートに行かないと、冷房なんて効いてなかったんですけどね。



テレビも、これでもかというくらいに大きくて、小さめの家具みたいなもんでした。リモコンなんてなくて、いわゆる「ガチャガチャ」(←手でつまみを回すタイプのもの)です。

ビデオもなくて、録画するのは脳内のみ。せいぜい、カセットテープに録音するくらいのもんです。

今のように、HDDでキレイに編集するなんて、夢のまた夢――というか、個人でそうするなんて発想がありませんでした。



でも、だから昔が嫌かというと、そんなこともなくて、それはそれで、味わいがあって、よかったですよ。

生活全般を思い出しても、今と比べると、不便だし、非衛生的だったりするし、何かにつけ時間がかかったように思いますが、それはそれで情緒があるし、そもそも、当時はみんなそうでしたから、特に大きな不満があったわけでもありません。

ああなりたい、こうなりたい、そういう、夢みたいなものはありましたけども、それはあくまで夢であって、夢のとおりにならないから嘆くなんてことは、あまりなかったように記憶してます。



そうすると、逆に、多くのものが目の前にあって、多くのものに手に届き、あるいは、届きそうなところにあって、また、他の人が持っているという情報が氾濫する今の世の中では、昔、嘆かなくてよかったことにまで、嘆いているのかもしれませんね。

これも良し悪しか…


物にせよ、生き方にせよ、選択肢が多くて、ある程度、選択可能なだけに、悩みも多くなっているのかもしれません。

ほいでもって、自分で制約を作っていたり、身近な人に制約を強いられることもあるので、余計に苦しくなることもあるのかもしれません。(あるいは、目に見えないもの、カタチのないものに、制約を受けている場合だって、あるかもしれません)

で、その制約というやつが、どのくらいの正当性を持っているのかということには、無頓着だったりする。

物にせよ、生き方にせよ、それは本当に必要か、ってのは、ビミョーな問題だと思います。



と、と、と、脱線しましたね。

話を戻して、「昔はよかった」という今の風潮を考えますと、ちょっと美化しすぎかな、とも思います。

ざっくりいうと、昔はおおむね汚かったんですから。

ホントですよ。

食卓の上をハエが飛んでたりして、だから、ハエ取り紙(ハエ取りリボン)とか、ハエよけの食卓カバー(蝿帳)があったんですから。

Google イメージ「ハエ取り紙」
Google イメージ「蝿帳」

田舎のトイレは、いわゆるボットン便所、汲み取り式ですよ。

今では当たり前のポケットティッシュ、ティッシュBOX なんてなくて、ちり紙です。(しかも、男の子は(持ち)忘れてたりする)


今でこそ、国民みんな賞味期限に敏感ですが、昔だと、その判断は、①見て、②嗅いで、③齧って(かじって)みて、みたいな感じ(笑

多少あぶなくても、商品によっては、「ええい、ままよ」とチャレンジすることもしばしば。
(↑この辺は、人によって違いますが…)

そうすると、食品偽装はいけないことだとしても、今の時代は、ちょっと、潔癖症な部分もあるのかもしれません。

昔だと、そういう言葉こそ使いませんが、自己判断、自己責任、(お腹を)下したら下したて、あとで笑い話にするくらいのもんでした。

(↑だからといって、表示の偽装を容認しやしませんけどね)



今、映画やドラマなんかを見て、「あの頃」が美化されるのは、まあ、演じ手が俳優さんで、(ある程度)美男美女なわけだし、美男美女でなくても、こぎれいで、生活しているところも、セットですからね。

そして、我々の脳内にしても、そういうところがあるのかもしれません。

脳内の思い出は、(ある程度)こぎれいになっているのかもしれませんね。



まあ、なんにせよ、得たものもあれば、失ったものもありますわ。


そして、「あの頃はよかった」なんて言えるのは、我々が(安全な)「こちら」(側)にいるからで、「あちら」にいる、あの頃の我々なら、断然、我々のいる「こちら」をうらやむと思います。

とすると、「こちら」に生きながら、何らかのカタチで、「あちら」を表現することは、ひょっとしたら、すごく意味あることなのかもしれませんね。

あの頃のあったよいものを、今の時代にマッチさせながら具現化させることができたなら、それはそれで面白いかも…





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南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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