ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
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秋だから、実をためる


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生まれたばかりの赤ん坊には、何の制限もありません。

何の制限もなしに、

笑い、
泣き、
欲しがります。



しかし、成長する過程で、それは制限されます。

それを学んでいきます。


泣いてはいけない、泣いてはダメ、
笑ってはいけない、笑ってはダメ、

悲しんではいけない、悲しんではダメ、
喜んではいけない、喜んではダメ、

怒ってはいけない、怒ってはダメ、
はしゃいではいけない、はしゃいではダメ、

欲しがってはいけない、欲しがってはダメ。


(まあ、ある場面では、ですが…)



確かに、社会で生きる上では、それらを学ぶことは必要です。

が、しかし、同時に、そのすべてを否定するものでもありません。


ここに二律背反性、矛盾があります。



ある場面では、確かに、それは制限しなければならない。

が、逆に、他の場面では、それは制限を受けない。


泣いてはダメ、
笑ってはダメ、

悲しんではダメ、
喜んではダメ、

怒ってはダメ、
はしゃいではダメ、

欲しがってはダメ、


―― そうではなくて、実は、


うまく泣く、
うまく笑う、

うまく悲しむ、
うまく喜ぶ、

うまく怒る、
うまくはしゃぐ、

うまく欲しがる、

―― そういうことが望まれているのかもしれません。



「うまく」と書きましたが、これはなにも、

「上手にしなければならない」とか、「取り繕う」とか、「誤魔化す」とか、そういうんではなくて、内から出てくるものを、うまく処理する。それに筋道をつけるということです。

「うまく表現する」とか、「うまく爆発させる」とか、そういうことで、しかも、はじめ不細工だったものを、
だんだんと、自分流に、処理していくというものです。

(自然な流れを取り戻す、といってもいいかもしれませんね)



当たり前に、慣れ親しまないものは、不細工・不器用なので、(できれば保護された空間で)それを育てていくんですね。

○○してはダメ、というのは、ある限定条件下で、そうなだけで、すべてにおいてダメ、なんてことはないようです。

とはいえ、人には事情があって、そう思わざるを得ないとか、そう思ってしまって当たり前とか、そうなることも多々あります。

(誰も、それを責めることはできません)

だから、いかに自分で気づいていくか、それが大事になります。



そして、限定条件を解除した時、世界は広がります。


「うまく」→「健全に」

健全に表現する。


まあ、だんだんとね。




Mortalを考える 泣いてもいい?
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「自然、流れのようなもの」




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もうどれくらい前になるだろうか、あるテレビ番組でのことです。

とある女性レポーターが、催眠療法というものを体験することになった。

セラピストは彼女に退行催眠をかける。すると女性は幼い日のころに戻ったかのように、絵を描き、話す。

後で聞くと、彼女は自分で幼い日のころのように話しながら、それを自分で客観的に見ていたそうです。

まるで、夢での体験のようですね。


その中で、彼女は未来へも移行します。

そこで彼女は、未来の自分からメッセージを貰うことになる。


「なるようにしかならないよ」


未来の彼女は、現在の彼女に、そのような言葉を送った。

その言葉を受け取ってから、彼女は生きることが楽になったといいます。





村上春樹さんの「国境の南、太陽の西」にこのような一節があった――


「あなたの言っていること、なんとなくわかるような気がする」と彼女は大人びた静かな声で言った。
「そう?」
「うん」と島本さんは言った。「世の中には取り返しのつくことと、つかないことがあると思うのよ。そして時間が経つというのは取り返しのつかないことよね。こっちまで来ちゃうと、もうあとには戻れないわよね。それはそう思うでしょう?」
 僕は頷いた。
「ある時間が経ってしまうと、いろんなものごとがもうかちかちに固まってしまうのよ。セメントがバケツの中で固まるみたいに。そしてそうなると、私たちはもうあと戻りできなくなっちゃうのよ。つまりあなたが言いたいのは、もうあなたというセメントはしっかりと固まってしまったわけだから、今のあなた以外のあなたはいないんだということでしょう?」




「取り返しのつくこと」

「取り返しのつかないこと」

「時間」

「かちかちに固まってしまう」

「あと戻りできなくなっちゃう」

「今のあなた以外のあなたはいない」



「なるようにしかならないよ」



なるようにしかならない、

だから、

自由でいなさい。



享受、

それを受け入れ、楽しむこと。




なるようにしかならないよ、



だから、あなたで大丈夫…





だいじょうぶ だいじょうぶ (ちいさな絵童話りとる)
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「あなたは大丈夫」
「感情――いいんです」

「人は何もしないで時間を潰すのが怖い」




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NHK教育で放送されている「Q~わたしの思考探究~」に、泉谷閑示さんが出演されていました。




こころをひらく対話術 精神療法のプロが明かした気持ちを通わせる30の秘訣




テーマは「恋愛」です。

その中で、こんな話が――


Yさんは、「互いに好きになる確率は、本当に少ない」と言います。「好きにはなっても、好きになられることはほとんどない」と。そしてその逆はあって、「自分が好きじゃない人に好かれることはある」と話しました。

それには訳があると、泉谷先生は言います。


例えば、以下のような場合を考えます。


Yさんは恋愛に憧れている。

そこへ、A君がYさんに告白をした。

しかし、YさんはA君を好きになれない。

さらにB君もYさんに告白したのだけれど、彼のことも好きになれない。


Yさんはどうも、自分を好きだと言ってくれる人を、好きにはなれないようなのです。



泉谷先生がまず訊いたのは、「自分のことを好きですか?」ということ。

Yさんは、「あんまり好きじゃない」と即答しました。


泉谷先生はフリップに円を書き、その中にふたりの人物を描きました。


見る自分とみられる自分


円がYさんの全体。

その中に、Yさんを見るYさんと、Yさんに見られるYさんがいます。

つまり、「自分を見る自分」と「見られる自分」がいる。


Yさんは、自分を好きではありません。

「見る自分」は「見られる自分」のことを好きではない。


そこにある人、A君が現れます。

この人がYさんを好きだとなると、「見るYさん」にとって、A君は自分が嫌っているものを好きな人、ということになる。

言い換えれば、趣味が悪い人になります。

何でこんな人を好きなの? と。


見る自分とみられる自分


人は、自分が嫌っているものを好きな人=趣味が悪いと思う人を、あまり好きにはなりません。特に、自分が大いに嫌っているものを好きだと聞いて、いい気はしない。


で、逆に、自分が嫌いなものを嫌いだという人に関しては、共感できる。

こういう人には気が合って追いかけるのですが、その人は自分を嫌いなので、この恋は成就しにくい。

たとえ相手が振り向いても、その瞬間に「自分のことが嫌い」という条件が消えちゃうので、その人は趣味の合わない人に変わってしまいます。

(見る自分も含めて変われば、別ですが)


というわけで、自分で自分を愛しているとか、自分を認めているという部分がないと、恋愛は成立しにくいことになります。

ここでも、基本的信頼って、大事なんですね。


Yさんは、自分のことを好いてくれる人を、気持ち悪いと思っていたそうです。



Yさんは、人と比べて自分は劣っていると言います。

また、すぐに人と比べてしまうと。


人は生まれた瞬間には、自分と人とを比べません。

自分を愛するという円満な状態で、生まれてくる。


では、それがどうして嫌いになったのか?


Yさんは思春期に、心を傷めるような経験をしました。

泉谷先生は、思春期までの子供の世界は自分が何かを見ている世界、だと話してくれました。(意識は外に向いています)

それが思春期には、人からどう見られるか? という視点に変わってくる。

そこで初めて、人と比べたり、自分はどのあたりに位置しているだろうかと、考えるようになります。

人目を気にしだす。

そうなると今度は、自分に条件を出すようになります。そしてその条件をクリアしたらまあ認めてやると、「見る自分」は設定する。でも、その条件を満たしていなければダメだと、「見る自分」は「見られる自分」を判定するように。

ここで――実は高いハードルである――見る自分の基準をクリアできないと、自分のことが嫌いになります。ダメだと思う。

そして、恋愛ができにくくなると。



というわけで、恋愛することと自分を好きになることは、けっこう関係しているらしい。


では、原因は思春期なのか?

泉谷先生は、その前にあると言います。


先述の通り、子供は、自分を無条件に愛する状態で生まれてきます。

そこで養育者が関わるようになるのですが、この影響が出てくる。

Yさんは、悪い部分を随分指摘されたと振り返りました。

姿勢や所作などを、度々、注意された。


小さい子供にとって、養育者はいわば、神の位置にいる人。絶対者に近い。

その上位者にダメだと言われると、子供はそれを疑わないで、「ああ、わたしはダメなのか」と思います。

この認識が強化され、自分を嫌いになってしまうというわけ。


これ、本当は、全部がダメなわけではありません。

ちょっとした部分に対し、ダメ出しが来た。

でも、こういうことが続くと、粗探しする「見る自分」ができることも。

で、さらに言うと、こういうことが世代を超えて継承されていることもあるのです。



恋愛、人が人を愛するには、自分を愛するという土台がいるようです。





恋愛の意義として泉谷先生は、自分が見ている世界や自分が考えている世界が絶対ではないことを知る経験であると、話してくれました。

自分がそうだと思っているものが普遍的でないことを知るようになる。

みんなが他者で一人ひとり違うのだということを、知識としてでなく、もっと深い経験として、知ることになります。

そういう発見が、恋愛にはあると。

表層の違いと、それとは別の深いつながりを、恋愛は教えてくれるという。

よいも悪いもあって、右往左往して、浮いたり沈んだりしながら、やがてそれを知るのだと。

最高の経験と、最低の経験、それらが集まって、全体性が得られます。

よいも悪いも、うれしいも悲しいもあって、すべてがそろい、円や球に近づく…





「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義





 → 「エリクソンのライフサイクル」
 → 「超自我と伝承される問題」



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「シリーズ うつ病」
「You are OK、I am OK」




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NHK教育の「Q~わたしの思考探究~」で、鳥居みゆきさんが鋭い発言を連発。

不思議でファンキーなネタをする鳥居さんですが、その中でも「おっ!」と言わせる時がありますよね。

そんな驚きが満載の回でした。




友だち幻想―人と人の“つながり”を考える (ちくまプリマー新書)
友だち幻想―人と人の“つながり”を考える (ちくまプリマー新書)




テーマは「友達」「賢い人づきあい」について。


聞き手は、コミュニケーション論を専門とする、菅野仁さんです。



(*自分の意見は、オレンジ色にします)



鳥居さんの悩みは、人と一緒にいることができないことだそう。

(この悩みを共有する人は、少なくないかもしれません)

高校3年生までずっと一人でいたという、鳥居さん。

一人でいると、一人が寂しいんではなくて、「一人でいてやるんだ!」という気持ちを無理やり作ろうとするようになると、話してくれました。

結果、他人より上の位置にいようとしてしまう。

そうすると対等な関係は築けないわけで、友達を作ることも、健全に暮らすこともままならなくなります。

(何が健全かというのは、ビミョーな問題ではありますが)


それは一番寂しいことで、寂しいことを寂しいと言えなかったと振り返る、鳥居さん。

「ふんだ」と、強がっていたと。





“人”という字は、人と人とが支え合っているけど、みんな上の「支えてもらう人」になりたがっていると話す、鳥居さん。

(すっ、鋭い!)


今の日本を覆っている問題の一つは、「してもらう」ことに一生懸命で、「する」ということを ちょっと忘れているところがあるのかもしれない。

結果、「する」ことで得られる副産物を、得られないでいます。

することの先にある幸せを、ちょっと忘れてしまっている様子。






芸能界に入るきっかけは「認められること」だったと振り返る、鳥居さん。

ずっと高校3年生まで友達がいなくて、ちょっとふざけたりすると、あまり受け容れてもらえなかったといいます。

なので、「認めてくれるところに立とう」と思い立った。

表現できる場所に立とうと思って、芸能界に。





人が人を求める理由には「幸せ」というキーワードがあるのではないかと話す菅野さんに、鳥居さんは「ありません!」と即答しました。

人とつながるからといって(必ずしも)幸せになれるわけではないと。

それよりは、カルボナーラを食べている時の方が、幸せだと。


そこで菅野さんは、「人間の幸せというのは、二つのモーメント(きっかけ)から成っている」と話しました。


ひとつは、「自己充実」とか「自己実現」。

己を満たしたり、己の内にあるものを実現すること。

カルボナーラを食べるのは、己を満たすことで、自己充実。


そしてもうひとつは、「他者と交流して、気持ちが分かりあったり、自分の話を理解してもらうこと」。

「他者から受け容れられたり、他者から承認を受ける」、そんな要素からも、幸福は成っていると。



でも、友達は怖い存在でもある、と鳥居さんは言います。

そこで菅野さんは、「同調圧力」という言葉を説明してくれました。

(同調圧力とは、多数優位の考えや態度。それを迫る、圧力。時には多数派の意見に同調するように強要されたり、あるいは自分で自分を強要することも。目に見える圧力もあれば、目には見えない圧力もある)

例えば、飲み会とかは楽しいこともあるけれど、今日は行きたくないな~という日もある。でも、そんな日も、断りづらかったりする。また、みんなが働いている時は、有給をとりづらかったりすることも。

昔は概ねみんな同じようなリズムで暮らしていたけれど、今の社会にもそんな「みんな一緒」というのが残っていて、それが現代では「圧力」になっていると。


「みんななかよく」という言葉があります。

その言葉に対する鳥居さんの感想は、「そんなのあり得ない」。

でも、社会の多数を占める願いとして、「みんななかよく」というのは、存在していそう。

(時には、「友達を作らねばならない」といった強迫的な観念になることも) 


鳥居さんは、「そこに依存しちゃうと、ちょっと裏切られただけでも、ダメでしょ?」と言いました。

「ボロボロっと崩れちゃうでしょ?」と。


鳥居さんも昔、そういうことがあって、裏切られるとイラッとしたといいます。

だから、他者との間に、見えないベルリンの壁を作った。

それで一応、保たれたと。



空気を読むのが得意な、日本人。

それによって、場は保たれました。

しかし、ライフスタイルが昔と同じでない今、様々な問題も出てきた様子。

「みんないっしょ」の圧力が、人間を締め上げはじめています。

同調は何も悪いことではありませんが、(極端に言うと)前世代の当たり前と、新世代の当たり前が、見えない領域で戦おうとしている。

本当のことを言えば、前世代にも新世代にも、両者はいて、それぞれの当たり前を掲げ、見えないところで戦っている。あるいは、戦いを放棄している。

また実は、ひとりの人間の中にも葛藤はあって、それは戦っているのかもしれません。

さらに言うなら、超自我というものとの戦いの中で、歴史みたいなものとも、戦っているのかもしれない。



(参考:「超自我と伝承される問題」





「嫌いな人がいたら、どうしますか?」と振られた、鳥居さん。

最近では、イラッとしたら、1日の出来事、思ったこと、感じたことを、書き出すようにしているといいます。

うれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、イヤだったことなどを書き出し、さらに矢印を書いて、「何で?」を遡る(さかのぼる)。

そこで分かったのは、「全部、自分のせいになる」ということ。

でも、自分を突き詰めるとなくなっちゃうので、そこまではしない、とも。





言葉には限界があると語る、鳥居さん。

暇なときには辞書を読んだりするけれど、表したいのは辞書に書いてある言葉の、「これとこれの間」ということもよくあって、困ってしまう。

言葉を選んでしまうと、思ったのと違ったものになってしまうことも。

どうしても、ちょっとのズレが生じるので、100%の理解は得にくいといいます。


本当の気持ちは本人にしか分からず、厳密には、人と人とは分かりあえない。


菅野さんは、「100%を求めると、人間関係はまずいものになる」と言いました。

そもそも、自分が考えていることを、100%表現できない。

互いに、100%伝えられないし、100%受け止められない。

そして根本として、100%自分の気持ちを理解することも、難しい。


仮に、90%自分の気持ちが分かって、そのうちの90%を表現できて、そのうちの90%を理解してもらったとしても、そこにあるものは、約73%の気持ち。

そして、これでも上出来な方。

これが、60%×60%×60%だと、約22%に。



無理なことを求めると、イライラします。

無理なことを求めると、時には、絶望する。

それが自分を息苦しくすることも。


菅野さんは、100点から減点方式で人を見るのではなくて、もっと低いところから積み重ねたほうがいいのではと、提案してくれました。

そうなると、「それなりに」というものが、活きてくる。

それなりに話せた、それなりに理解できた、それなりに理解された、そんなプラス要素が、見えてきます。

100点ではないけれど、いいものがたくさん出てくると。


満点は言わば、互いにすべて理解し、くっついた状態。

でも、それは無理なので、恐る恐るでも、あるいは多少不細工でも、離れたところから、だんだんと近づく。

距離を縮めようとすることで信頼感は生まれるのではないか、菅野さんはそう話してくれました。


(いきなりマラソンからはじめるのではなく、近所をジョギングすることから、はじめる。いきなり挑戦してできないと嘆くのではなく、ちょっとずつやって、だんだんとできるようになる)


そして上に書いたことに戻れば、信頼して「もらう」ばかりではなく、信頼「する」といったものも、互いに必要になると。





コミュニケーションというと、何を表現するか、相手に何を伝えるかに重点を置かれがちだけど、受け手であること、「レスポンスする能力」が大事だと、菅野さんは言いました。

(レスポンス:応答とか反応)

コミュニケーションは発信するばかりではなく、少なくとも半分は、受けることだと。





最後に菅野さんは、「態度保留」と「無関心」の差について、話してくれた。


無関心は文字通り、関心がない。

気持ちのベクトルが働いておらず、興味もない。

逆に、態度保留は、関心は向けているのだけれど、あえてジャッジしない姿勢を保つ。

見守るけれど、決めない、決めつけない。

純粋な観察が、そこにはあります。


これって、すごく大切なことですよね。

大切だけど、今欠けていること…





夜にはずっと深い夜を



ジンメル・つながりの哲学 (NHKブックス)





同調圧力、

この暴力にだいぶやられた人も多いので、そろそろ反乱が起こるかな?

勝ちすぎると負けなければならないのが歴史の必然なので、そろそろかも。

そして、それこそが、絶滅を回避する方法だったりするし。


だから、今までのうのうと暮らしていた人ほど、危ない?





【関連記事】
「自分を好いてくれる人を好きになれない理由/Q~わたしの思考探究~ 泉谷閑示」
「心の大金持ち/イリヤッド~入矢堂見聞録~」

「You are OK、I am OK」




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NHKクローズアップ現代「やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~」より。



虐待とは、「むごい取扱いをすること」。一般的には、親が子どもに暴力を振るうことなどをいいます。

でも、そうでない虐待も、あるという。

それが、「やさしい虐待」。暴力や暴言で直接傷つけるのではなく、教育や躾(しつけ)を過剰に行うことで、子どもをがんじがらめにし、心を蝕んで(むしばんで)ゆく。



そんな「やさしい虐待」に警鐘を鳴らしてきたのが、東海学院大学の長谷川博一教授。

長谷川さんによれば、子育てに大切なのは、子どもが幼い時に持つ、甘えたい、わがままを言いたい、そういった感情を、親が分かり、認めてあげることだといいます。その安心感によって、子どもは自分を肯定し、のびのびと育っていく。

逆に、子どもの甘えやわがままを認めず、幼いころから、躾や教育を押し付けると、それが子どもに影響し、やさしい虐待と呼ばれる状況が、生み出されてしまう。





親であれば、成績優秀な子に育てたい、あるいは、礼儀正しい子に育てたい。それは何も間違ってはいません。ただ、度合いが過ぎると、やさしい虐待の落とし穴が待ち受けていることも。

負荷と成長は、隣り合わせです。

例えば、勉強するのが負荷。成績が上がるのが成長。あるいは、運動するのが負荷。体力が向上するのが成長。また、叱るのが負荷。礼儀正しくなるのが成長。

こういった負荷と成長のはざ間で、人は育ちます。子どもも、大人も、そうです。ただ、やり過ぎると、バランスを崩すんですね。大人であれ、子どもであれ。

さらに個人差があるから、なおのこと難しいです。



やさしい虐待が、なぜ、よい子の異変を招くのか?

長谷川さんによれば、過剰な教育や躾で、本来持っている感情が押しつぶされると、子どもは自分の価値を認められず、強い心を育めなくなるという。このため、些細なトラブルにも対処できず、心が折れやすくなってしまうのです。

 参考記事 → 「たいしたことない? たいしたことある?/あふれる水」



不登校や不安の中には、それ自体が問題だというよりは、やさしい虐待に対するSOS信号として現れている場合も。

自分の価値が認められないと、また、それが長く続くと、自己否定感が強くなってしまいます。自分を嫌い、情けない自分だと、できない自分だと、そう思いこんでしまう。さらにそれが、対人関係に、てきめんに現れてくる。人にどう接していいか、分からなくなります。





子を思う親の愛情を、「親心」と言います。

子どもを幸せにしたい、子どもに失敗してほしくない、誰もがそう思う。

それはとても尊いのですが、大きくなりすぎると、重荷になることも。

親の切羽詰まった思いを受けて、子どもはどうしても、疲弊してきます。


感情としてはむしろ、善である。ただ、時として、それが効果としては、負担になっちゃうわけですね。


これはひとつには、子どもは敏感であること。またひとつには、それがずっと続くこと。また、家の中から、子どもは逃げ出せないこと。これらがあると思われます。



長谷川さんはこういった親の態度を、「やさしい虐待」と呼びました。

その一方で、不登校や引きこもりというのは、それに対する「やさしい反抗」なのかもしれません。

昔風の反抗なら、暴力を振るったり、家出したりしました。でも、よい子は、それさえも押しとどめ、けれど負担からは逃れたいと感じ、その折衷案(せっちゅうあん)として、こういった状況になると。あるいは、疲れ切り、動けなくなってしまう。





長谷川さんは、やさしい虐待の多くに、親自身の生い立ちが影響していると考えます。というのは、親自身が、自分の親に、厳しい教育や躾を受けているケースが多い。

過去、それに苦しみながら忘れていたり、そもそも気持ちが抑圧されて、意識には上っていない場合も。

そこには、やさしい虐待の連鎖があるのです。


親も、その親も、悪気はありません。むしろ、よかれと思ってやっている。

でもその影では、自分の気持ちや、子どもの気持ちが、犠牲になっていたりする。


長谷川さんは、子どもを立ち直らせるために、まず、親の会で、集団カウンセリングを行っています。

子どもを変えるには、親自身が変わる必要があると、考えているのです。


子どもの無気力や、不登校は、反応。その反応を生む原因を、何とかしようとする。

反応というのは、例えば、重い物を持つと疲れる、その疲れるということ。原因は、重い物を持たせるから。

だから、疲れ自体をどうこうするのではなく、重い物を軽くしようというのです。

また、子どものことで困っているお父さんお母さん自身を何とかしたいという想いもある。


長谷川さんによれば、やさしい虐待を受けた親たちの多くは、幼い頃、本来の感情を押しつぶされ、心が十分に育まれないまま、親になっているという。

カウンセリングを通して、その時の感情を回復できれば、まず、親が自分自身を肯定できるようになる。そしてその結果、自分の子どもの感情も、認められるようになる。それがまた子どもに作用し、子ども自身も、自分の価値を認められるようになる。

負の連鎖を逆転させ、正の連鎖を生もうと試みます。




やさしい虐待。やさしい子に、やさしい親。

やさしいが故に、罪悪感があって、想いをなかなか表現できません。

だから逆に、一般には否定的だとされる感情も、保護された場所で、出す練習をします。


社会的には否定的に扱われがちな、怒りや憎悪、嫌いだという感情。

でも、話を聞けば、「そりゃそう思うよね」となるものも、実はたくさんあります。

出したものだけ見れば、ビックリするかもしれません。

でも、出すに至った経緯を知れば、「そりゃそうなるわ」というものも多いのです。

むしろ、怒って当然だとか、嫌って当然だとか、そういうのは、多々ある。

そういうものを少しずつ出す練習をするのが、カウンセリングなのでしょう。





親が変わることで、子どもを救う。

その親も、自分を肯定するために、自分の気持ちと向かい合う。


それは怖くもあり、ギョッとするようなものも出てくるかもしれませんが、その先にあるものは、確かにあるようです。





お母さんはしつけをしないで




きみの友だち (新潮文庫)






善悪論に走ると、「悪い」「悪くない」のはざ間で揺れて、先に進みにくいようです。

罪悪感が勝ちすぎる。

それよりは、「どう変わるか」の方が、大事なのかもしれません。





【関連記事】
「恒常性(ホメオスタシス)とエゴグラム」
「エニアグラム」

「自然治癒と虐待」
「エリクソンのライフサイクル」




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Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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