ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[サイト内タグ未指定]



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

加藤諦三さん著「話が通じない人の心理」(青春文庫)より。



冒頭、加藤さんは「話が通じない人」を紹介する。


人に被害を与えている。でも、それが理解できない。

被害を与えることによって生じた自分への非難や損害、そればかり主張する。

「したこと」は頭に入らず、「されたこと」しか理解できない。

自身はいつも被害者で、相手が悪いことになってしまう。


その理由を加藤諦三さんは、「他人という現実がない」のだと説明してくれています。

「他人という現実がない」のだから、「他人に迷惑をかけた」という現実もない。

一方、自分の損害には敏感で、それが自分の蒔いた種であっても、それは無視して騒ぎ立てる。


このような人は、「自分が喜ぶものは相手も喜ぶ」と信じるのだという。

他人という現実がないから、相手の顔色や反応は見ない。

「自分が喜ぶものは相手も喜ぶ」という思い込みが、現実と同等の、あるいはそれ以上の、力を持ちます。


なので、話が通じない。





「他人という現実がない」というのは、なるほどな! と思いました。

他人という現実も、迷惑をかけたという現実も、その人の中にはないわけか。

だから、華麗にスルーできる。

してることも、やめない。


いろんな問題が今の日本には山積してますが、その根底に、「会話が成立しない」とか「話が通じない」というのを、ひしひしと感じていました。

そんな時に出会ったのがこの本なのですが、まえがきを読んで「!」と唸らされた。

この先が、楽しみです。





「話が通じない人」の心理 (青春文庫)






「第2回 ナルシストと人付き合い」>>




スポンサーサイト
[サイト内タグ]:  話が通じない人の心理



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

加藤諦三 著「話が通じない人の心理」(青春文庫)より。



親しい人がいれば人生は充実すると、加藤さんは言う。

ただ同時に、心理的な障害も考えねばならない、

例えば、依存性が高い人。「どうして、してくれないの?」という人。こういう人は要求が満たされないと、すぐに敵意を持つ。

また、加藤さんは「自分と親しい人が、初めて他人と親しくなれる」という。自分を受け容れているから、相手も受け容れられると。

さらに、自分は自分、相手は相手と思うには、自我の確立、アイデンティティの問題も絡んでくるといいます。

依存性が高い、自分を受け容れられない、自我が確立されず自分と相手を混同しがち、これらの状態は、人間関係の障害になると。


一方で――意識しているかどうかは別にして――親しくなることを望まない場合もある。

例えば、恥ずかしがり屋の人。自分をさらけ出すのが恥ずかしいので、人とは距離を置いた方が助かる。あるいは、人と親しくなるのを怖れる。

この辺は性格もあるだろうし、事情があるかもしれないので、責められることではありません。



前回紹介した「他人という現実がない人」を、加藤さんはナルシストと呼んでいます。

ナルシストは日本語で言えば、自己陶酔型の人。自分に心を奪われている人。

ナルシストの人は他人という現実がないため、人と親しくなれない。関心はいつも自分にあって、相手に関心がない。

気持ちに関しても、そう。中心にあるのは自分の気持ちであり、相手の気持ちについては興味がない。過ぎれば、相手の気持ちがその人の現実からなくなる。あるいは、相手に気持ちがあることは知っていても、感じようとはしない。

相手の気持ちだと思っているのは自分の気持ちの投影で、自分と同じように喜び、自分と同じように怒っていると受け取ってしまう。あるいは、自分と同じように喜び、自分と同じように怒るべきだと、強く主張する。そうでないのはおかしいとさえ、言う。


ナルシストは、求める人。自分への関心、自分への賞賛などを、求める。そして、相手には、与えない。なので、関係がギクシャクしてしまう。バランスが悪い。


ナルシストは、自己イメージを現実と捉える。他人の目が、現実として存在してない。周りが「困った人だ」と思っていても、通じない。

他者の目が理解できないから、態度の修正も難しい。自分が問題ないと思えば、世界が問題ないとしているのだと、誤解してしまう。


なので、話が通じない。





会話には、聞くと話すの両方がある。

相手の話を聞くと同時に、自分も話す。

お互い様というわけ。


でも、自分ばかりになると、相手の話を聞くというのがなくなる。

相手の気持ちを、受け取らない。

これでは人と親しくなれないと。


でも、彼らを一概に責められない面も。

「ほめられたい」という深層心理が、「ほめられることへの飢え」だったら、どうだろう?

この人は腹を空かしているわけで、理屈で空腹は抑えられない。

そしておそらくは、肝心なものを食べないと、この空腹は治まらないと思われる。





「話が通じない人」の心理 (青春文庫)






他者というリアルがない理由は何だろう?


器質的な問題。この場合、善悪で分けられないし、単純に責められない。

ただ、問題は生じるわけで、保護や支援が必要と思われる。


心理的な問題。これもある意味では被害者である部分があり、単純に善悪で分けられない。認知に歪みを持つだけの理由が、そこにある。

目に見える問題としては加害者でも、人生においては被害者である場合も。両方の相反する現実を持つ。そしてなかなか、それを認めてもらえない。

当人を中心にする場合、当人が傷つけた被害者と、人生において実は傷つけられている当人という被害者、その両方が存在することに。

ここでも善悪はともかく、保護と支援が望まれます。

ここで言う保護とは、当人が傷つけた人に対する保護と、当人がもう傷つけないように(加害者にならないように)するための保護。

支援とは、傷つけることや迷惑行為を止めさせるという意味での、自立支援。いわば態度の変容に関するプログラムであり、迷惑行為をないものとしたり相手に我慢させるような支援ではない。


もうひとつは、「単に知らない」ということも、あるかもしれません。

常識を知らないとか、教えてくれる人がいなかったとか。周囲の大人が何かにつけ、「何が悪い?」という人たちだったとか。





あなたの話はなぜ「通じない」のか





<<「第1回 他人という現実」「第3回 親しさの要素」>>




[サイト内タグ]:  話が通じない人の心理



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

加藤諦三 著「話が通じない人の心理」(青春文庫)より。



人と親しくなるには、そこに楽しさがいるという。利害関係抜きで関係を作るには、一緒にいて楽しいことが望まれると。

また、親しい関係では、(ある程度の)本音を言えるし、(ある程度の)助けを求められる。そしてその根底には、基本的な信頼があると。本音を言っても大丈夫、助けを求めても大丈夫という、基本的な信頼という土台がある。それくらいなら関係は壊れないという、ある種の安心や自信があるのでしょう。

じゃあ、そんな自己開示をできない人はダメなのかといえば、そんなことはありませんよね。だいたい、そうなるには理由があるもの。大丈夫だという経験の積み重ねがないと、そうはいかないのです。

仮にそうできないとしても、誰も責めることはできない。



加藤さんは本の中で、10の「親しさの要素」を紹介してくれています。(P40)


(1) その人の幸せを願うかどうか。

これは、互いに幸せを願う関係。他では、互いに気遣う関係。平易に言えば、お互い様。

けれど、他者というリアルがない人は、自分の幸せだけを願う。苦しみで言えば、相手の苦しみは意に介さず、自分の苦しみだけに注目する。

健全な関係では「する」と「される」が両方あるけれど、自己愛が強いと「してもらって当然」となり「どうして、してくれないのか」と苦しむ。


相手の幸せを喜べる関係が、親しい関係。そこには相手がおり、相手の気持ちがある。

同じことをしても、相手のことを考えている場合もあれば、実は自分のことしか考えていない場合もある。相手の気持ちを自分で考え、それを相手の気持ちだとしてしまうのです。相手に聞かない、相手を見ない、そして自分の感情や考えを信じる。


ただしこれも、一方的に責められるものかといえば、そうでもないと思います。

相手の幸せを喜べるというのは、心に余裕があるから。逆に、そうじゃないというのは、心に余裕がないから。そう考えると、事情というものが見えてくる。また、親しい関係の土台に基本的な信頼があるとすれば、また、考えることもあるでしょう。



(2) その人と一緒に幸せを味わえるかどうか。(P51)

人と親しくなれる人は、人と一緒に幸せを味わえるという。

一方、ナルシストだと、自分を守ることで精一杯になってしまう。

さらに、自分を守ることに精一杯になってしまうと、他人を傷つけることになりがちになる。

(自分を守るために)相手の価値を否定する。

これは裏を返せば、相手の価値を引き落としてでも自分を守らねばならないようになってしまっている、ということでしょうか。

おそらく当人には「自分を守っている」という意識はないのでしょう。でも、引き落とさずにはおれない。それが癖になってしまうので、「ああ、あんなものはね」とか、安易に言ってしまう。

ただ、「自分を守る」というのは「自分を守らねばならない」ということで、「相手を引き落とす」というのは「相手を引き落とさずにはおれない」ということ。こうなると、「そうしているのか、そうさせられているのか?」というところがあります。

しっかり守られた経験が薄いと、自分でしっかりと守らざるを得なくなる。価値を認められた経験がないと、相手の価値をなかなか素直に認められない。そういったところも。

このように事情はありそうなのですが、これ、相手にとっては分からないし、関係のないことなんです。なので、「?」となったり、あまり続くと気分を害される。



(3) その人を尊敬できるかどうか。(P56)

親しいとは、「その人がよい」ということであるという。最高ではなくても そのひとがいいと、選んでいる。弱点があっても好きだし、弱点があっても尊敬できる。また逆に、自分の弱点も見せることができる。演技する必要がない。

その根底にあるのが、基本的な信頼や安心感。

自分は相手を受け入れるし、相手も自分を受け入れているという感覚がある。

そしてそれは、人間の活力の源とも関係している。



このような親しさの要素が、10個紹介されています。

残りは、以下のようなもの。



(4) 困ったときに頼れるかどうか。(P59)
(5) その人と相互理解があるかどうか。(P60)
(6) いろいろなものを共有できるかどうか。(P64)
(7) 励ましを受けるかどうか。(P65)
(8) 励ましてあげるかどうか。(P66)
(9) 親しくコミュニケーションができるかどうか。(P68)
(10) その人を大切にするかどうか。(P70)



これらの中には、その奥に、いくつかの傾向が見られます。

それは、基本的信頼の問題。幼少時に、しっかりと守れたか? 注目されたか? つまるところ、愛されたか? ということ。

十分に守られた経験がないと、自分で自分を守らねばならなくなる。そうなると自分に精一杯になって、相手どころではなくなってしまうのです。

どうしても自己中心的になって、人と親しくなれません。

ただ、この自己中心的というのは相手にゴリゴリ主張するだけではなく、相手の気持ちまで自分で決めて、といった面も含まれます。なので、相手が望んでないのに下手に出たり、といったこともある。

ともかく、相手を見ないので、調子を合わせるのが苦手です。過剰に迎合するということも含めて、そうであるということ。

(迎合 げいごう:自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること)



人付き合いがうまい人には、躊躇(ちゅうちょ)がありません。気にせず、ポンッと、懐に飛び込める。これはタイプによって、「誰にでも」という人もいれば、「まあ、親しい人なら」という人も。

これも根底にあるのは人間への信頼ですね。意識の奥に「だいじょうぶだ」というのがあるから、迷わない。そして、「では、逆は?」ということになります。


あと、「飢え」というのもあるようです。

十分理解された人は、それ以上理解を求めない。でも、理解に飢えている人は、多くの人に理解を求めようとする(そうせざるを得ない)。また逆に、あまりに理解されることがないと、理解されることをあきらめる場合も。

これらも、人と親しくなる障害になることがあるようです。


この本でいうところのナルシストが困るのは、「相手の気持ちを察しない」ところ。関心は自分にばかりあるので、相手の気持ちがお留守になります。

でもこれも、気持ちを察してもらった経験がないから相手の気持ちを察することもない、という面も。十分に分かってもらった経験がない(か、乏しい)ので、相手の気持ちを分かるということを知らない。

経験がない、知らないということが、根にあることも。

なので、単純に責められないところがります。





「話が通じない人」の心理 (青春文庫)




自分でできる対人関係療法







<<「第2回 ナルシストと人付き合い」「第4回 思い込みの激しさ」>>




[サイト内タグ]:  話が通じない人の心理



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

加藤諦三 著「話が通じない人の心理」(青春文庫)より。



今まで見てきたように、ナルシストは思い込みが激しい。相手の気持ちまで決めつけてしまいがちです。

誰にでも望みがあって、けれど現実が望みどおりとは限らなくて、そんな切ない気持ちを持つのが健全な状態。つらかったりするけれど、心理的には健康です。

けれど中には、望みと現実の区別がつかなくなる人もいるようです。恋人でありたいと思うと、相手が現実に恋人だと思えてしまう。思いがリアルと同等になってしまいます。もちろん確認を取ったわけではなくて、すべての理由が「自分がそう思ったから」になる。自分がそう思ったから、相手も好きなはず。この筋が通らない「はず」があるというのです。(P75)


一般の人の場合でも「○○なはず」と思い込むことはありますが、現実が違うと知った瞬間に、それを修正しようとします。「○○なはずだと思っていた、けれども実際は違ったようだ」となる。

けれど、極端な人はこうならないようです。現実を目の当たりにしても、「○○なはず」が上位を占め、勝ってしまうのです。なので、「どうして? どうして?」と執拗に迫ってくる。気持ちが現実以上の権威を持っているので、修正が難しくなってしまいます。


A:「あなたが好きです」
B:「ごめんなさい」
A:「残念 (>ω<、)」

これが一般的な場合。

もちろん悲しいし、あとに引きずる場合もあるでしょう。

けれど、現実を現実として受け取る準備がある。



A:「あなたが好きです」
B:「ごめんなさい」
A:「え? どうしてですか?」
B:「え?」
A:「わたしを好きじゃないなんておかしい。どうしてですか?」
B:「え… ( ̄▽ ̄;)」

言葉に詰まってしまいますよね。

会話が成立しなくなってしまう。




誰でも思わしくない結果が出ると、「そんなはずはない」と思いたくなります。けれど「現実 > そんなはずはない」だから、だんだんとでも受け入れていく。

けれど中に、「現実 < そんなはずはない」という人がいます。こういう人はどうするかというと、現実の方を曲げてしまう。実際にあるものを無視し、「そんなはずはない!」と主張するのです。


こういう人と話すと、会話が成立しません。言葉も声も出ていますが、話が噛み合わないのです。我々は現実を前提に話をします。現実を共有し、それを元に話す。でも、その前提を共有できないとなれば、話が通じなくなるわけですね。





思い込みを固く信じる。でも、現実は違う。なので、「どうして?」と腹が立ってくる。そしてそのうち、相手を恨むといいます。思っていたことと現実が違っていると気づけない。修整できない。なので、筋違いなことで人を恨む。

自分は○○だと思っていた、でも、実際は違った。なので泣きたくなったり、実際に泣いた。こういうことは誰でもあると思います。ただ、そうしながらも、現実を受け入れ、落ち着いていきます。短期的に「どうして?」と思ったり、恨むことはあっても、だんだんと落ち着きを取り戻していく。

それはきっと、どんなに悲しくても現実は現実と、少しずつ受け入れていくからでしょう。

人間だから気持ちはある。けれど、感情と共に現実も受け入れ、少しずつ時間をかけて処理するのです。何らかのカタチで、外に流してゆく。


ある種の人は、自分が恋人だと思ったら、相手は恋人になってしまう。もちろん、相手の気持ちは確かめません。また、これは恋人だけではなく、親友や師匠・先生といった関係でも、そうなる。で、恋人には恋人がするようなことを、親友には親友のするようなことを、師匠には師匠のするようなことを、要求します。

ところが、相手はそう思っているとは限らない。なので、思ったようなことをしてもらえない。これでは腹が立ってくる。さらには、恨んでくるような場合も。

もう、出発点で間違ってるんですね。現実でないことを前提としているので、ズレは深まるばかりです。こうなると普通は前提を修正するのですが、それが無理なので、とことん突っ走ってしまう。

悪いのは相手で、自分は被害者、かわいそうな人としての認識しかありません。





一番最初に、「他人という現実がない」と紹介しました。

他人というリアルがないから、好き勝手にできる。相手の気持ちなどお構いなし、自分のしたいことをするし、それを注意されたら腹が立つ。「どうして?」「何が悪い?」と言ってしまう。

これでは話が通じません。

自身の態度が迷惑になっているとか、相手が気分を害しているとか、そういったリアルが無いことになってしまっています。それよりもずっと、自分の気持ちの方が強い。


マナー違反をする → 相手が不愉快な思いをする → それでも繰り返す → 関係がギクシャクする。

こういうこともあるでしょう。


でも、こういうこともある。

マナーを直す → 相手が不愉快な思いをしなくなる → ずっと態度を直す → だんだんとギクシャクしなくなる。

こうなると、昔のことが笑い話になったりします。

そこには「修正」がありますね。そしてその前段階には、「現実の認識」(この場合は相手の気持ちを察すること)があるのでしょう。


他人がいることで、やっと生じるものがあります。


(1) 思いやり

「他人の身の上や心情に心を配ること」(大辞泉)

他人というリアルが無いと、思いやりは生じませんね。


(2) 気遣い

気を遣う相手がいないと、これも生じないのでしょう。


(3) 客観視

相手の目が無いと、これも難しいですね。

人は自分で自分をなかなか見れませんから。



実際に相手はいる。それは分かっているのでしょう。けれど、態度や行動に、それが出ていない。「まるで他人などいないかのよう」になっています。そんなこと分かっていますと言いながら、分かっていない。分かったつもりで、止まっています。





「話が通じない人」の心理 (青春文庫)




自分に気づく心理学






○○と思った、○○なはず。

自分は○○と思ったから、相手にとっても○○なのだろう。

このような思い込みと現実がごっちゃになったようなコメントが、事件の度によく聞かれます。





<<「第3回 親しさの要素」「第5回 自分勝手な心理」>>




[サイト内タグ]:  話が通じない人の心理



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ

加藤諦三 著「話が通じない人の心理」(青春文庫)より。



P96では、「人は人、自分は自分」という考え方が問題とされています。いわゆる、個人主義でしょうか。

「人は人、自分は自分」、この考えも使い方次第でしょう。生き方という面において、これは保障されていいように思います。誰もが、自分の思うように生きていい。

が、しかし、です。これがマナー破りの言い訳に使われたりするので、困りますね。実は人に迷惑をかけた時点で、「人は人、自分は自分」という前提が崩れます。なぜなら、「自分が人に迷惑をかけている」からです。音、におい、接し方など、相手が不快に思うような影響を与えている。これでは「人は人、自分は自分」とはいえません。

けれど、他人という現実がなければ、迷惑をかけられている相手という現実もないことになってしまう。なので、「何が悪いの?」となってしまいます。本当は違うのに、「人は人、自分は自分」と都合よく解釈されるのです。





ところで、人間が最初に出会う相手(他者)とは誰でしょう?

それは母親です。初めお腹にいたのが、やがて生まれる。ただし生まれてからも母子一体感は残り、生まれたばかりだと相手という認識はありません。それが育っていくうちに、「わたし」という感覚を覚えていく。そういう意味で、最初の相手とは、身近な養育者になると思われます。

他人という現実がない → 他人に関心がない → 自分にしか関心がない。

この理由をこの本では、「自分を守らねばならないから」と説明している。母性とは本来、「あなたに何があっても大丈夫」であるとか「あなたが何をしようとも愛している」といったもの。それが著しく欠けると、自分で自分を守るしかなくなるというのです。

そしてもうひとつには、モデルの欠如というのもありそうです。マナーを守ったり、人を気遣ったりというのは、そういうことの大切さを経験したり、そのような行為を目の当たりにしたりと、モデルとなる人の存在がいる。ということは、身近にモデルがないと、それを知らないことになります。知らないので、「勝手でしょ」などと言えるのです。

これらのことを考えると、「保護責任」という言葉が浮かび上がる。1つは幼い子を保護し、養育するという責任。そしてもう1つは、子どもを(ある程度)まっとうな人間に育てるという責任。

本人に度を越えて自覚がない → 責任能力がないように見える。このような場合には、たとえ相手が大人であれ、それを保護する人のことも考えねばならないのかもしれません。

(保護責任とはいっても「責任をとらせる」といった意味ではありませんよ。むしろ強調したいのは「保護」の方。自分で制御できないなら、周りで制御しないとね。自分も、相手も、両方守るために)

とはいえ、仮に保護責任というものを放棄したり軽んじてきた人を相手にするのであれば、ちょっとこれも難しそうですね。





他人という現実がないナルシストですが、それでいて、「他人に好かれようとする」という。

ただし、相手に関心がなく、相手の気持ちを察しないので、ややこしいことに。相手の気持ちを考えずに、相手に好かれようとする。だから、逆に、嫌われる結果になりやすいと。

安定している人は、度を越えて好かれようとか、度を越えて嫌われないようにしようとか、そういう風に執着することがありません。もちろん、好かれたらいいと思うし、嫌われないようにしようとは思うけれど、それに恐怖したり、こだわりすぎたりはしない。

それはなぜかといえば、安心しているから。あるいは、十分に愛されているから。だからむやみに気を遣う必要がない。

では、逆はどうでしょう。十分に愛された経験がなく、どうも安心できなかったら。そうなるとすごく求めるし、気も遣いますよね。時には、失うことに恐怖するかもしれない。

恐怖を意識するのは目の前のことに対してなのですが、実は恐怖を意識させているのはもっと別のもの。土台の欠如です。基本的信頼が欠けているので、そうなってしまっている。この辺も、「時間差の罠」と言えるでしょう。

感情は、土台の部分からきている。でも、感情を受け取る自分(自我)は、今を生きている。土台はどちらかというと過去で、受け取るのは現在の自分。なので、どうしても、混同が生じます。

過去のことから生じているとはいえ「今の感情」だから、原因も対応も「今」でしてしまいます。





健全な人間は、自分のことを考えると共に、相手のことを考えます。自分のことを受け容れると共に、相手のことも受け容れる。自分を愛すると共に、相手のことも愛する。このような「お互い」というものがあるように思います。

一方、ナルシストは、自分のことしか考えられない。「相手」や「場」という意識が、希薄です。物事にあたる時には、「それがわたしにとって何の利益になるんですか?」「何の得になるんですか?」といった風になってしまう。

(この辺は、最近の風潮でもあるかもしれませんが)

この一見、「何の利益にもならないもの」「何の得にもならないもの」は、世の中に多くあるようです。しかも実は、それが社会の潤滑油として機能していることもある。一見くだらないものであるようなものが、実は人間関係や物事を円滑に進めるための役割を果たしていることもあるのです。

ということで、いちいち「何の利益になるんですか?」「何の得になるんですか?」と言っていたら、ギスギスしてしまうわけです。

けれどこの本のいうところのナルシストは、人間関係を利害関係に直結してしまう。利害関係のない人間関係を、考えられないようです。たとえプライベートであっても。





加藤さんは本の中で、次のようなフロムの言葉を紹介してくれています。(P107)


「一般に彼は他人の言葉を聞いていないし、ほんとうの関心を示さない」


厳密には聞いている。聞こえている。耳にも入っている。しかし、頭に入っているかどうかは怪しくて、実際、すぐに忘れるというわけ。音声としては受け止めても、相手の気持ちや実際に起こっている現象としては、受け取っているかどうか怪しいと。

「関心」の内、特に好きという感情を伴ったものを「興味」というらしい。

ナルシストと呼ばれる人は、その興味が極端に自分に向いている。そして、他人への興味が極端に欠けているようです。なので、他人の言葉が記憶に残らない。自分に関係することは覚えているけど、他人が何をしたとか、他人が何を好きかとか、そういうことは忘れてしまう。というか、そもそも興味がないと。


人は人を見て、学習するという。特に幼い頃は、身近な人を鏡・鑑(どちらも「かがみ」。後者は、手本という意味)とし、無意識的にいろんなものを学びます。

ということでこの時、「相手に興味を持つ」とか「相手を好きになる」とか、そういうことも学ぶ。身近な大人が「自分に愛を示す」「自分を愛する」、そこから学習し、他者を愛することを学ぶのです。

なので、他者を愛せないということにも、事情がありそうですね。





「話が通じない人」の心理 (青春文庫)




自己愛な人たち (講談社現代新書)






自分勝手は、相手のことを考えた時、自由になるのかもしれません。





<<「第4回 思い込みの激しさ」「第6回 思いやりと価値観のズレ」>>




[サイト内タグ]:  話が通じない人の心理



ブログランキング・にほんブログ村へ
blogram投票ボタン


ランキングに参加しています
よかったらクリックしてね


秋だから、実をためる


↑ページトップへ


■ 最近のエントリ




// HOME // NEXT
Powered By FC2ブログ.
copyright © 2005 枕石漱流 日記(ユング心理学の視点から) all rights reserved.
■ Amazon
■ 注目記事
■ アーカイブ
■ カテゴリ

■ 月別アーカイブ

■ 検索ぷらす


【注意】 ENTERキーだとうまく表示されないようです。申し訳ございませんが、ボタンを押してください。

■ キーワードハイライト機能

検索時、検索語句がハイライトされます。

■ 最近のトラックバック
■ スポンサードリンク

■  
■ スポンサードリンク



■ 最近の記事
■ カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

■ FC2カウンター



現在の閲覧者数:

■ プロフィール

南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


日記について


拍手する

プロフ
電脳露店マイアソシエイトストア
おバカ映画

■ リンク
■ RSSフィード
■ QRコード

QR

携帯でも御覧になれます。

■ にほんブログ村



BlogPeople「人間・哲学/人間考察」

■  



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。