ユング心理学の視点から見た日記。スーパー戦隊シリーズ キョウリュウジャー、トッキュウジャー、東のエデンのレビューと感想。エニアグラム、子どもが育つ魔法の言葉、話が通じない人の心理、自分に気づく心理学。ドラマやアニメから学ぶ人生観。
 

私のような年代は、人気者や有名人のことを、「スター」と呼びました。

昔ほど、作られた虚像を演じることはなくなったものの、それでも、「見られる自分」と「本当の自分」が完全に一致するということもないのでしょう。


仮面をかぶった自分や、制服を着た自分。

外に出る時の自分。

それとは違う、自分もあるはず。


仮面を脱ぎ捨てた、制服を脱いだ、生身の自分。


そんな自分と向き合いたくなるのも、自然の摂理か。


逆に、本当の自分を失えば、どうなるのだろうか?


そんな物語が、童話や文学の中にも、昔から存在するのかもしれない。




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今より前に、辛抱の時代があった。

いや、今もまだ、あるのかもしれない。


奴隷解放の時



何のために辛抱したのだろう?

家族のため?会社のため? 世間体?

つまり、「場」のため。


それに対し、今の時代、「個」がだいぶ尊重されつつある。


まだまだ足りないという意見はあるだろうけども、昔よりは変わったのも事実。

それに従うことに、疑問が生じているのだから。

変わり切ってはいないけれど、おかしいと認識する人の「輪」が広がってきた。


ネットのゆかいな人たちは、それさえもギャグにすることがある。

辛抱や我慢を、何の疑問も持たずに強要する、あの「おかしな人たち」を。

怒りを内包しつつも、笑い飛ばす。



もう、自分を殺すことに、飽き飽きしたのだ。

我慢の限界にきた。

「否!」と、声を上げる雰囲気ができてきた。




じゃあ、「場」というものを、ことごとく破壊していいのかというと、もちろん、そんなことはない。

「場を尊重すること=悪」ではないのだから。

むしろ、それによって救われているところもある。


何が悪かといえば、「人間を殺すことが悪」だといえる。

ということは、今まで、知らず知らず 人間を殺してきたし、今もまた 人間を殺しているのだ。

どこかで、誰かが、死んでいる。


もちろん、生命が失われているという意味ではありません。

(悲しいかな、そういうケースもありますが)

人間を殺す「ようなこと」が、起きているというわけ。

(あるいは、人間性を殺す)


前述のように、インターネット上では、若干面白おかしく、「こんなことがあったんだよ」的に投稿されることはよくある。

Twitter 上で、短い言葉ながら、見事に表現されている。

会社で、家庭で、あらゆる場で。

(あるいは、ひとりの人間の中で)


それもこれも、「殺される前に逃げてきた」から、言えるのかもしれない。

「傷を負いながらも」に、なるのでしょうが。


「場を尊重する」のが悪いとは言い切れず、さりとて、「個を殺すのも同意しかねる」。

そういう状態が、今、あるのでしょう。

「〇〇は大事だが、奴隷になるつもりもない」という風に。


今の時代、誰かを奴隷にするような行為は、認められないでしょうね。

それでいて、横行しているのも事実だけれど。


何が良いことか分からない。

一方を否定するだけでは、話はすまない。

そんな中で、まずは、「気づくこと」が大事なんでしょうね。


そこに一役買っているのが、インターネットでもありましょう。

「こりゃひどいよね」が共有され、浸透していくのだ。



両社に歩み寄りがない場合、「断絶」が生じる。

そして、誰かが、痛い目を見る。

それで、気づくか、あるいは、まだ気づかないか。


相手を殺すでもなく、自分を殺すでもない。

そんな第3の道が求められる。


そして悲しいかな、相手であれ、自分であれ、その過程で「死にかける」のも、見逃せない。

真に収まるには、「死と再生」を通過せねばならない時もある。

それを拒否する限り、堂々巡りを繰り返すのだ。


(やさしい奴隷は、主人を気遣う)



「昔はよかった」は、通用しない。

なぜなら、「今危ない」のだから。

「今どうすべきか?」、それが問われている。

猶予期間があるうちに、その答えを出さねばならない。

ツケの期限は、いつ来るか分からないのだから。




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放置していたら、またひと月が経ち、広告が出るところだった。


というわけで、おざなりに更新だけします。




掃除してたら、古い雑誌が出てきた。



「ちょっとは大人になったかな?」

「あまり人に頼らなくなったよね」



昔の二人


月日が経つとまた、感慨深いものが…





辻ちゃん 加護ちゃん


まさか、2018年に「暗黒アンガールズ」なるラスボスが出てこようとは、当時は誰も思うまい。




ああ、ホントに、おざなりだ…




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「〇〇は××」だと、決めてかかる。

でも、そこに合理性はあるのだろうか?

自分は違うといえるだろうか?



夢とブーメラン



インターネット上の愉快な人たちは、ここをイジります。

事実と違うとか、それ以上のことを アンタたちはしてるじゃないかとか。

それこそ、「ブーメラン」だとか、「おまいう」だとか。


「〇〇は××」だと非難する人に、同じことをしてるぞと、指さす。

茶化す。ギャグみたいにする。

これらは、夢の働きと少し似ているのかもしれません。

夢もよく、「お前だって同じじゃないか」とか、「自分のしていることは 不問にするのか?」とか、遠回しに表現をします。

要するに、痛いところを突いてくる


前にも書きましたが、肝心なことは、心の邪魔もあって、なかなか意識できない。

でも、このままでいいということもない。

いつかは気づかねばならない。

なので、うっすらと、直接的でない方法で、伝えようとする。

分からないように配慮しているはずの「心」が、同時に、何とかして伝えようともするのだ。




人間、痛いところを突かれると、反発します。

他人から指摘されると、猛烈に怒る。

でも、夢はちょっと違います。

表現が「それそのもの」ではないので、分かりにくい代わりに、やんわりしている。

反発するほど、直接的ではありません。


 自分で理解しない限りは、気づかないし、反発することもない



先の「長」の話であれば、自分の思い通りに長年やっていると、思わぬツケを払うことになるようです。

人間の集まりであれば、相手が出て行ってしまう。あるいは、見えないところに存在している負債が、どんどん溜まってしまう。爆発しそうになる。

個人のことであれば、無意識の反乱であるとか、身体の反乱(故障)が起こったりする。こちらも、爆発する。

つまり、「我慢の限界」が来るというわけですね。


そういう時、客観的に見れば、「そりゃそうですよ」ということも、しばしば。

どう見ても、「やりすぎ」だったりする。




「相手は従うだろう」という神話は、崩壊したようです。

「辛抱」の時代から、変わりつつある。



組織であれ、個人であれ。




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前に書いたように、コンプレックスにやられてしまうと、ちょうどいい人を悪人に仕立て上げてしまいます。

これだけだと、単によくないことですが、実は それだけでも ないようです。


悪口の奥にあるもの



誰だって、批判的になることはあるし、悪口だって言うでしょう。

その中で、こんな時がある。


 ・ 非常にこだわる。

 ・ その話になると、人が変わったようになる。

 ・ 合理性を失ってしまう。



こうなると、「ホントは別の話なんだな」と分かってきます。

本当に非難したい相手は、別にいると。

(もちろん、本当にひどい話もあって、それに対しては誰でも怒るんですけどね)

前にもちょっと書きましたが、言いたい人に言えないから、言いやすい人に執拗に言うのです。


誰だって、悪人にできますよ。

その人を付け回して、何かしらの不備を言いふらせばいいのです。

人間誰だって 全部が全部 健全というわけじゃないので、ケチをつけようと思えば、つけられます。

小さなよくないことを大きく広げるとか。

よくないことだけ言うとか。(よいこと、普通のことには、触れない)

中には、それ悪いかな? ということまで、いかにも印象が悪いように吹聴するとか。

「あんなことしてたのよ~」みたいな。


こういう手法が、(特に昔は)幅を利かせていたのでしょう。

しかし、ここでもインターネットの登場だ。

ウソが暴かれてしまう。

言ったことや やったことを悪意を持って編集しても、それがバレる。

ウソじゃなくても、「やりすぎ」が露見する。

「ブーメラン」なんて言葉もあります。

つまり、「汚いやり方」は通用しないようになってきた。

(まだまだ通用している部分もあるのが、頭の痛いところですが…)


話を戻すと、あることに執拗にこだわり、攻撃的になる時、

「その奥に、本当の問題が潜んでいるのではないか?」ということになります。

誰かを悪人だという。

でも、客観的に見ると、そうでもない。

そんな時、「本当に悪いと思っている人は、別にいるのではないか」と。


心理的に ―― というのは、心の作用の妨害を受けて ―― 悪いと思えないから、別の誰かに投影し、その人に言っているというわけ。

本当は、誰かに意見を言いたい。でも、言えない。

言えない以前に、思うことさえタブーになっている。

でも、怒りや悲しみや複雑な感情が、噴き出してくる。

そのガス抜きとして、他の誰かを攻撃していると。





パターンは、いくつもあるでしょう。


 ・ 誰かから、酷い目にあっている。

 ・ 自分に欠けているもの。



要するに、「普段は意識できないもの」 なわけですが、「これからの課題」 とも取れるでしょう。

「何とかしなければならない、そんな何か」


これを社会に投影し、一生懸命活動している人もいるでしょう。

問題を見誤っているので、いつまでも満たされませんが。


こういうのが、「夢」に現れることもあります。

車だと、「普段、あり得ないような乱暴な運転をする」とか、「ブレーキが効かない」とか。

服装だと、「裸で街にいる」とか、「靴がない」とか。

「鎖につながれた犬を見た」とか、「死んでいる鳥を見た」とか。

その時の状況が、「何らかのカタチ」で夢に出てくる。

言葉にできないものが、何らかの夢の中の経験として、出てくる。


「それそのもの」が、実際に起きるわけではありません。

むしろ問題になるのは、「そのようなこと」。


 ・ まるで、ブレーキが壊れたみたいな。

 ・ まるで、裸であるような。

 ・ まるで、鎖につながれたような。

 ・ まるで、死んでしまっているような。


心当たりがあると、「ギョッ」とします。

気づかされる。


気づくといっても、いきなり全部が分かるということは、ないでしょう。

「そんなことを言ったって、××はおかしい」となる。

でも、ちょっとした疑問や違和感は、生まれてくるわけだ。




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■ プロフィール

南方 城太郎

Author:南方 城太郎
生息地:関西
分類:昭和人間
生まれ:
黒電話、赤電話が主流で、冷房は扇風機、暖房は石油ストーブと炬燵という時代


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