前に書いたように、コンプレックスにやられてしまうと、ちょうどいい人を悪人に仕立て上げてしまいます。
これだけだと、単によくないことですが、実は それだけでも ないようです。

誰だって、批判的になることはあるし、悪口だって言うでしょう。
その中で、こんな時がある。
・ 非常にこだわる。
・ その話になると、人が変わったようになる。
・ 合理性を失ってしまう。こうなると、「ホントは別の話なんだな」と分かってきます。
本当に非難したい相手は、別にいると。
(もちろん、本当にひどい話もあって、それに対しては誰でも怒るんですけどね)
前にもちょっと書きましたが、言いたい人に言えないから、言いやすい人に執拗に言うのです。
誰だって、悪人にできますよ。
その人を付け回して、何かしらの不備を言いふらせばいいのです。
人間誰だって 全部が全部 健全というわけじゃないので、ケチをつけようと思えば、つけられます。
小さなよくないことを大きく広げるとか。
よくないことだけ言うとか。(よいこと、普通のことには、触れない)
中には、それ悪いかな? ということまで、いかにも印象が悪いように吹聴するとか。
「あんなことしてたのよ~」みたいな。
こういう手法が、(特に昔は)幅を利かせていたのでしょう。
しかし、ここでもインターネットの登場だ。
ウソが暴かれてしまう。
言ったことや やったことを悪意を持って編集しても、それがバレる。
ウソじゃなくても、「やりすぎ」が露見する。
「ブーメラン」なんて言葉もあります。
つまり、「汚いやり方」は通用しないようになってきた。
(まだまだ通用している部分もあるのが、頭の痛いところですが…)
話を戻すと、あることに執拗にこだわり、攻撃的になる時、
「その奥に、本当の問題が潜んでいるのではないか?」ということになります。
誰かを悪人だという。
でも、客観的に見ると、そうでもない。
そんな時、
「本当に悪いと思っている人は、別にいるのではないか」と。
心理的に ―― というのは、心の作用の妨害を受けて ―― 悪いと思えないから、別の誰かに投影し、その人に言っているというわけ。
本当は、誰かに意見を言いたい。でも、言えない。
言えない以前に、思うことさえタブーになっている。
でも、怒りや悲しみや複雑な感情が、噴き出してくる。
そのガス抜きとして、他の誰かを攻撃していると。
◆
パターンは、いくつもあるでしょう。
・ 誰かから、酷い目にあっている。
・ 自分に欠けているもの。要するに、
「普段は意識できないもの」 なわけですが、
「これからの課題」 とも取れるでしょう。
「何とかしなければならない、そんな何か」これを社会に投影し、一生懸命活動している人もいるでしょう。
問題を見誤っているので、いつまでも満たされませんが。
こういうのが、
「夢」に現れることもあります。
車だと、「普段、あり得ないような乱暴な運転をする」とか、「ブレーキが効かない」とか。
服装だと、「裸で街にいる」とか、「靴がない」とか。
「鎖につながれた犬を見た」とか、「死んでいる鳥を見た」とか。
その時の状況が、「何らかのカタチ」で夢に出てくる。
言葉にできないものが、何らかの夢の中の経験として、出てくる。
「それそのもの」が、実際に起きるわけではありません。
むしろ問題になるのは、「そのようなこと」。
・ まるで、ブレーキが壊れたみたいな。
・ まるで、裸であるような。
・ まるで、鎖につながれたような。
・ まるで、死んでしまっているような。
心当たりがあると、「ギョッ」とします。
気づかされる。
気づくといっても、いきなり全部が分かるということは、ないでしょう。
「そんなことを言ったって、××はおかしい」となる。
でも、ちょっとした疑問や違和感は、生まれてくるわけだ。
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